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ベートーヴェン、うまれてよかった

二年ほどまえに乳がん疑いで針生検をした。
胸に針を刺してズドンズドンと細胞を採られる。
もし乳がんでも初期だろうという見立てだけれど、やっぱり結果が出るまでの2週間のあいだ薄氷の上にいるきもちだった。
けれど検査が受けられることや、それを見守って心配してくれる人がいることを有り難く思う。
脳内で「われわれは、そっちのラッキーの方に注目したいと思っているのです」という解説の知らん人の声が聞こえてきた。
検査が終わると、「麻酔があってよかったー!」と先生につぶやいた。

5年来のがん患者友達のよきこちゃんに、乳がん疑いなことを報告する。
2回目のがん疑いの重さを彼女は知っている。さりげなく心配してくれて、大丈夫だと思ってるけど報告してね、と優しい言葉をくれた。お互いに来年を真剣に迎えようね!と言いあう。
彼女自身、なんどもつらい治療をして
今もしんどい体で緩和ケアに通いながら
きらきらと生きている。
彼女の姿が、言葉がいつもわたしの生きる力になっている。

奴隷だったギリシャの哲学者、エピクテトスの言葉がわたしは好きだ。
「自分の力のうちにあって自由になるものと、自分の力のうちになくて自由にならぬものを、峻別せよ。」
そして、与えられたものを活かし、どうにもならないことは放っておきなさい、とエピクテトスは言う。
そのようにしたいとわたしはいつも思っている。
病気ばっかりして、結局なんどもよみがえる自分大好きなわたしがおかしくて
「フェニックス!」と母の前でおどけた。
こうしている間も人生の一部だ。
病気がアイデンティティになるのはもったいない。
心配してすごすのは死ぬのを待っているのとおなじだ。

この頃、ベートーヴェンの交響曲第9番の歓喜の歌を聴いていた。
ベートーヴェンの人生は苦難の連続であったという。
ベートーヴェンは
「いつかこれを読む人たちよ。もしあなたが不幸であるなら、わたしを見なさい」
「墓の下にいてもあなたたちの役にたてる。これほどのうれしいことがあるだろうか」という言葉を残している。
彼は自分の生きる姿が、つくる音楽が、時代をこえて同じように苦しむ人の救いになることを確信していたのだろう。
そして実際に、後世の作家ロマンロランは「生きることの虚しさを感じ、危機的な心理状態であった私に、生きる火をともしてくれたのはベートーヴェンの音楽であった。」
「悲惨なことがあって私たちが悲しんでいる時、ベートーヴェンは私たちのそばにいる」
と言っている。

歓喜の歌は第四楽章の
「おお、友よ。このような音ではない!
我々はもっと心地よい、歓喜に満ちあふれる歌を歌おうではないか!」という歌いだしからはじまる。
今までに奏でたメロディが流れては「これではない」と否定され、もっといいメロディを探す。
それをくりかえしたのちに、ひとつのメロディが選ばれ歓喜の歌につながっていく。
オーケストラの楽器も合唱もソリストもおなじメロディをそれぞれの楽器や声で歌いはじめる。
第九がはじまってすべてが集結する第四楽章で、最も大事な旋律を奏でるパートにベートーヴェンが選んだのは人の声だった。
わたしは歓喜の歌を聴きながら、ベートーヴェンに強く共振していた。
わたしもおなじです、あなたの気持ちがよくわかる。
「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」とベートーヴェンは言っている。
これではない、これも違う、もっとふさわしい歓喜の歌があるはず。
たったひとつのそれぞれのからだで、時空をこえて、わたしたちは生きている喜びを歌う。すべての楽器が、植物が鉱物が動物が星が共振してともに音楽を奏でる。
生きることは喜びだと。
「友よ」と呼びかけるとき、命をもつすべてのものは同士である。等しく愛しい。

5年前にがんになったときは、死ぬのは怖くないと思っていた。
痛いのは嫌だけど、死ぬのは自然なことだからと。
覚悟したつもりでも、どこかリアルではなかった。
だけど生きることの儚さと奇跡を知った今、死にたくないと思う。
死ぬのが怖い、と思う。
一分一秒でもながく、この美しい世界を味わいたい、愛しい人たちと一緒に。
そしてそれは命あるものがみんなからだに持っている当たり前の気持ちだとも思う。
だからこそ最後にはあっさりと命を手ばなせるんだ。

母は、「二度目だから前よりずいぶん落ち着いていられるね」と静かに優しくわたしに向き合ってくれる。
不安をおさえて、淡々と一緒にすごす。
「がんは死ぬのに悪い病気じゃないと思う。
だけど、ツキはもうちょっと生きてほしい。辛いことが多かったから、生きててよかったと思えることがあってほしい」と言ってくれる。
そんなことを言ってくれる人がいるだけでわたしは幸せでたまらなくなる。
わたしは、生きててよかったと、なにか理由がないと思えないのだと思っていた。
残念だけど苦しみのほうが多すぎて、生まれてよかったとはまだ思えないとずっと感じていた。
だけどそれは違っていた。
在ることが、存在することだけでうれしいのだ。細胞も、光も、鉱物も、鳥も、花も、あらゆる物質が、存在するだけでうれしいのだと思う。
そして、生まれない幾多の可能性を蹴飛ばして生まれたこと、今日一日も生きのびたことの確率、奇跡がすべての答えなのだと思う。
いくつもの困難や喜びをくぐり抜けた、それ以上の答えや自信があるだろうか。
いま、生きていることが答えだ。
もうなにもいらない。別人になろうとしなくても、いることを味わえばいい。遊べと、味わえ、となにかが言ってくれる。
なんにもなにひとつ価値はないんだ。
わたしたちは自由だ。

もし、あと少しで別れなくちゃいけないとしたら、と母さんが言う。
ずーっとハグしたり、喋ったり、自然の中を散歩したりするよね。
今、やってることも持っている荷物もどうでもいいことだね。それは生きてる間だけだね。死んだら関係ない。
もう荷物もすてようか、と母さんが言う。
別れの前にはきっとなにもいらない。
ただこの体で愛しい人や世界を味わうだけだ。わたしは、そのことを大事にして生きよう。
病が知るべきことをおしえてくれた。
心をきたえ、新しい景色を見せてくれる。
経験するというのはすごいことだ。

チャップリンの無声映画が流れる待合室でわたしは震えていた。
検査の結果は、大丈夫だった。
ホルモン療法による細胞の変容のようだ。
母とよきこちゃんにすぐに連絡をした。
共に喜んでくれるひとがいるうれしさよ。
よきこちゃんは、「ツキちゃん、苦しかったね。お祝いしないとね。」と言ってくれた。
診察室に入るたびになにを言われるかわからない、じぶんにできることをするしかない。
痛くても治療できることが有り難い。
そんな、彼女のくぐってきた道のりを想う。
本当はわたしたちはみんな、死神に刃を突きつけられているんだ、ずっと。
なにもかもが美しくみえて、叫びだしそうで、2、3時間歩いて写真を撮り続けた。
また、新しい目になった。
人生で、神様の名前をなんど呼んだことだろう。
「愛してる」。だれにともなくそう思った。
小林麻央さんがなくなるまえに海老蔵さんに「愛してる」といったことを感動的におぼえていた。
麻央さんは海老蔵さんのことをそんなにも愛していたのだと思っていたけれど、
海老蔵さんをとおしてこの世のすべてにむけての言葉だったんじゃないかなと、急に感じた。
愛してる。このからだで、この世を味わえることがうれしい。
光が、生きているものがまぶしくて愛しい。

若い頃、障害をもったこどもとあそぶアルバイトをしていた。
担当していた才気溢れる男の子は、よく「ねえ歓喜の歌うたってよー!」とわたしにねだってくれた。
なんで歓喜の歌がそんなに好きなんだろう。そう思っていたけれど、今わたしもあの子みたいに言いたい。

ねえ歓喜の歌をうたって。
だれかが生きている姿は必ず、他の人に影響するから。じぶんの声で、そのからだで、うたって。
生きとし生けるものみな、ただ生きていることの喜びのうたを。


#フィクション#ノンフィクション



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