5/9 日記 カイコチュー

・不定期更新 気が向いたときに書くことにしようかなぁ。とはいっても日記を書くたびに毎回今後方針がどうとか言ってるから、おそらく真実ではない。

・今日、なんとなく昔自分が唯一脚本演出した劇の動画を見ていた。最近の自分はなんかイキッてて、「数年前の自分よりは、成長してるし、価値観がアップデートされてんだわ」とかとか思っていた。しかし、数年前の自分の劇をみて、めちゃくちゃ笑ってしまった。めちゃくちゃよかった。正直見る前までは、数年前のバカの自分が書いて演出したしょーもないやつだと思っていたが、やられた。役者に救われたのもあるか。

・そのあと、その劇のみならず2~3本他の動画もみた。すると、当時は微妙に思われた、部員の演技がとても輝いて見えた。ただの棒読みだなぁと思っていた演技が、この劇のこの役にはこれがぴったりなのだと思うようになってしまった。

・自分は割と「それっぽい演技」ができると自負していたため、当時は「俺にやらせてくれ!」と思っていたが、今見ると、とてもこの雰囲気はだせないなぁなんて思ってみていた。

・やっぱり自分は数年前とは変わって、人の演技のすばらしさを見つけられるように成長したんじゃないか。そんなことを考えながら、近所のコンビニにふらっといった帰り道、これは「懐古厨」なのではないかとも思った。

・人間の価値観は若いうちで固まってしまい、新しい見知らぬ価値を受け入れられなくなる。そして、自分に合っている、知っている情報を受け取ると快楽物質が出るとかなんとか。

・例えるなら、今の小学生はスマホを持っているのが普通であって、ソシャゲなんかもやっているらしい。この間、5~7歳くらいの男の子がショッピングモールでめちゃくちゃウマ娘プリティダービーをやっていて驚いた。この傾向を耳にすると、我々の世代は「ええ~小学生のくせにスマホだぁ~?外で遊びなさいよ外で!」とかなんとかいうのに加えて「俺らが子どもの頃はさ、ニンテンドーDSを公園に持ち寄ってさ、通信とかして、飽きたらブランコで靴飛ばしてさぁ」なんていう思い出話を言い出すに違いない。これが新しい価値観に恐怖し、自分の価値観で安心しようという人間の性質である。

・これから何十年もした世の中は、きっと脳に電磁波かなんかを売っていろんな体験をしてはしゃぐ人間であふれるかもしれない。そんなことになったら、その得体の知れなさに泡を吹いて倒れるかもしれない。そう考えると、現代のご老人がゲームやスマホが頭に悪いからやめなさいと憤るのもうなずける。そしてベーゴマとけん玉と昭和歌謡の話をするのだ。そして彼らは、自分たちの価値観は正しく、大人であると思い込むのである。

・話がだいぶそれてしまったが、そう考えると、昔の劇の動画をみて、「これってこういう意味だから、この役はこの人しか演じられない」とか新しい観点から真髄見つけちゃいましたみたいな感想を抱いた数時間の自分は、単に思い出の温泉につかって気持ちよくなっていただけなのかもしれない。

・ちゅう屁理屈でござんした。バイビーの風来坊。

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