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もやもやなごみ問題

明治時代から続いていた瓦焼きは平成8年に廃業して、
それから平成29年に近隣のシンボルでもあった煙突を解体しました。
つぐみの場所を説明すると「あの大きな煙突のちかくね!」と
リンクするようで、目印にしていたり、子供さんとよく見に行ったなんて
話を伺う度、あぁぁと解体したことを悔やまれるのでした。

壊すにはもったいないけど、もう使わないし、
大きな地震の後だったので耐震の面でも心配というのが理由でした。

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おじぃちゃんの記録によると夜中も火の様子を見に行くので
気が休まる時がなかったと。
煙突の解体後は、市街化調整区域の場所なので
使える用途は限られていました。
市街化調整区域の用途で認められてる「資材置き場」として
業者に貸したのが大失敗で、残念なことに。。。

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信じられないほどのごみの量。
瓦礫、タイヤ、畳、、ここを通る方から
棒が倒れてきそうでこわいとご意見。
煙突の方が安全だったのでは、、なんて思ってしまう。
.
なにが起こっていたかというと解体業者が利用、
解体したごみの処分費がまかなえなかったのか
その気もなかったのか、ここにおいていく。
賃料すら払えなくなって、別の解体業者に又貸しする
負のダブルループ、、。
2つの解体業者分の粗大ごみがたまる、一銭も支払われない。逃げられる。

業者とやりとりしてるのは父ですがわたしも何かせなという気持ち。
でも気弱なわたしはこの前を通っては、
一生懸命、馴れない睨みを効かせるしかできませんでした。。
この状況を見てさすがによくないと注意してくれる方。

保健所の指導で又貸し解体業者は
自分たちの出したごみだけを撤去しはじめました。

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マシ、、になった状態ですがまだまだ。
4台置いていかれた車両は2台減ったけど、、
感覚がずれてるだけで
2台もまだ置いていかれている状況でストップ。

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そして、似た者同士が集まるのか、
滞納したままはここ以外にも2件、
うち1件は本物のごみ屋敷になってました。
玄関と廊下だけでこの状態。
退去したときに父と中を覗きに行きましたがここで限界。
中になんて入れませんでした><

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先日見たいという強者あり。
強者について行きおそるおそる中を見ると腰高さまで
ごみが積もっていて、、。驚きで息できないほどの衝撃でした、、。


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