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御坊は夜に囁く 一夜

 皆さん、本日は一日お疲れ様でした。小さな集落とはいえ、あちこち歩き回られて大変お疲れになったことでしょう。なにせ年寄りばかりの集落ですから、皆さんのようなお若い方たちとお話をする機会は貴重なものだったと思います。
 明日も早うございますから、今夜はゆっくりお休み下さい。
 え? 本堂では怖くて眠れない? 有難い御本尊を前に就寝できる機会など、そうはございません。
 そうですか。でしたら、皆さんが眠たくなるよう、拙僧が一つ怪談話でも。
 まぁまぁ、そう仰らずに。なに、当寺院には長い歴史ありますから、こと怪談に事欠くことはございません。では、お静かに。息を潜めて、死者の声を聞き逃すことのありませんよう。

  ◯
 あれは蒸し暑い夏の夜のことでした。寝苦しくてなかなか寝付けずにいると、開け放した窓から物音がする。はて野良犬でもいるのかな、と思いましたが、妙な胸騒ぎを覚えて、念のために確かめに行くことにしました。
 雪駄を履いて本堂の脇から出ていきますと、山門の正面にある銀杏の木の下に門徒さんがいらっしゃっていました。遠くでよく見えませんでしたが、背格好ですぐに誰かわかりましたよ。
「稲田さん、どうなさいました。こんな真夜中に」
 彼女はご近所に暮らす門徒さんで、もう随分と高齢でいらっしゃいましたから、少し認知症を患っておられました。深夜に周囲を徘徊することも多かったのです。
 稲田さんは私の言葉に、ニコニコと微笑んでいらっしゃいました。それを私は、おや、と不思議に思ったのです。症状が現れてからというもの、稲田さんが微笑んでいるのを見たことがありませんでしたので。               「今夜は調子が良いのですね。でも、ご家族がご心配していらっしゃるでしょうから、どうぞ一緒に帰りましょう」
 いつもなら、このまま手を引いてご自宅まで送り届けるのですが、この日はどういう訳か、話を聞いてくださいませんでした。いえ、嫌だと頑として聞かないという風でもないのです。ただ、ニコニコとして境内を眺めたり、時折、本堂の方へ手を合わせたりしておられました。
 さて、困ったぞ、と思っておりました所、山門の方からご主人様がお迎えにいらっしゃいました。
「どうも、こんばんは。申し訳ない。家内がご迷惑をかけました」
「いえいえ。今夜は良い月が出ておりますから。ご主人も今夜はいつになく顔色が良いようですな」
「はは、いつもご迷惑ばかりおかけして、御住職には申し訳ない。どうぞ、おやすみになってください。私たちはもういきますから」
「お車を出しましょう。身体を冷やすといけない」
「いえ、お気遣いなく。それよりも、明日は宜しくお願いします」
「明日? ああ、檀家衆の寄り合いですな」
 すぐに車を出しましょう、と言おうとした時でした。黒電話の鳴る声が響き渡ったのです。こんな真夜中のお電話など訃報に違いありません。急いで玄関の脇にある電話を取りました。
「はい、高尚寺です」
『お世話になっております。夜分に申し訳ございません。稲田でございます』
「ああ、稲田さん。どうも、こんばんは。いえ、ちょうど今、お父様方がいらしてましてね。随分と心配なさったでしょう」
 開け放したままの玄関から、銀杏の木の下で手を取り合う二人の姿を眺めながら、私がそう言いますと、受話器の向こうで息を呑む声が聞こえました。
『御住職、あの、父と母が亡くなりまして。そのご連絡を、と』
「ははぁ、なるほど。そうでしたか。でしたら、通夜は明日ですな。御本人のご希望もあるでしょうから、どうぞお任せください」
 どうも、と受話器を置いてから、お二人の所へ戻りますと、なるほど少し若返ったように見えました。
「息子さんからでしたよ。いや、立派になられましたな。お通夜はどうなさいますか? かねてよりのご希望のままで良いでしょうか」
「はい。万事お任せ致します」
 さぁ、行こうか、とご主人が手を引きますと、奥様がしゃんと背筋を伸ばして立ち上がりました。そうして山門を潜る頃には、すっかり往年の若かりし姿に立ち戻られておりました。
 お二人はお辞儀をなさいますと、それから手を繋いで夜の中へ消えていきました。

   ◯
 ほら、そこの銀杏の木でございますよ。
 生前より大変仲睦まじい御夫婦でしたが、亡くなる時も同じとは。羨ましいものですな。
 さて、眠くなったでしょう。
 拙僧はこれにて。今夜は来客がありそうな予感がありましてな。
 ああ、誰ぞいらっしゃったようです。
 どうぞ、おやすみなさい。

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