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[ためし読み]『朝鮮人シベリア抑留 私は日本軍・人民軍・国軍だった』「訳者あとがき」より

1945年、シベリア。
「日本軍」として捕らえられ、抑留された朝鮮人青年たちは――
 
旧「日本軍」兵士としてソ連軍に武装解除され、シベリアに抑留されたなかには、朝鮮出身者も含まれていました。彼らが抑留されている間に、朝鮮半島は南北に分断されました。南側出身の人々は、命からがら38度線を越えて故郷へと帰りました。
 
『朝鮮人シベリア抑留――私は日本軍・人民軍・国軍だった』は、韓国でもその存在をあまり知られることがなかった朝鮮人シベリア抑留者たちのインタビューなどから、東アジアの歴史の空白に迫ったルポルタージュです。著者の金孝淳氏の経歴や本書誕生の背景を説明した「訳者あとがき」から一部を公開します。

【目次】
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日本語版序文……金孝淳
〔推薦辞〕「シベリア抑留」の歴史と記憶を問い直すこと――『朝鮮人シベリア抑留』日本語版によせて……中野敏男

はじめに

Ⅰ 抑留、試練が始まる
 第1章 三八度線に現れた怪青年たち
 第2章 父の足跡
 第3章 千島列島からソ満国境まで
 第4章 解放の喜びは消えて
 第5章 スターリンの抑留決定
 第6章 すれちがった運命――董玩、姜英勳、白善燁
 第7章 シベリアでの生活
 第8章 ソ連の執拗な戦犯追跡
 ◆コラム 関釡連絡船「興安丸」
 第9章 民主運動の渦
 ◆コラム 関東軍参謀出身の抑留者・瀬島龍三

Ⅱ 帰還、試練は終わらなかった
 第10章 帰還、新たな苦難の始まり
 第11章 朝鮮戦争、再び戦禍に
 第12章 故郷に戻らなかった人々――柳學龜と呉雄根
 第13章 強要された沈黙と朔風会
 ◆コラム 韓国シベリア朔風会と日本全国抑留者補償協議会(全抑協)の活動
 第14章 苦しみを分かち合い共同闘争に
 ◆コラム 全抑協会長・寺内良雄氏インタビュー

おわりに
訳者あとがき……渡辺直紀 ←一部公開
参考資料

◇   ◇   ◇

訳者あとがき

渡辺直紀

 アジア・太平洋戦争終結後、主として満洲や樺太、千島列島にいた六〇万人ほどの旧「日本軍」兵士が、ソ連軍によって武装解除され、シベリアに移送されて長期にわたって強制労働に従事させられ、多数の人的被害が発生した。一説には、一九四五年〜四六年の間に、全体の一〇パーセントにあたる六万人ほどが死亡したとされる。これを日本側では「抑留」(internment)であるとして、戦争後に不法に留め置かれたと主張し、ソ連側は、合法的に拘束した「捕虜」(prisoners of war: POWs)であり、抑留者ではないと主張した。シベリアに抑留された「日本軍」兵士で生きて帰ることができた者は、一九四五〜五〇年、および一九五三〜五六年の二つの時期にかけて、シベリアから主に沿海州のナホトカ経由で日本に引き揚げた。一九五〇〜五三年の時期に引揚げがほとんど行われなかったのは、朝鮮戦争の期間だったからである。ソ連からの日本への最後の引揚船は一九五六年一二月に舞鶴に入港した。

 シベリアに抑留された、これら旧「日本軍」兵士のなかには、日本の植民地である朝鮮や台湾出身の兵士も当然のごとく含まれていた。しかし、日本人兵士たちが、日本の内地に引き揚げていった一方で、植民地出身の兵士たちが、戦後、どこにどのように帰国し、どのような処遇を受けて暮らしていたかについて知られるようになったのは、戦後半世紀を過ぎ、冷戦体制が崩壊して、生存者たちの声が少しずつ世論化されてきてからのことである。日本におけるシベリア抑留に関する集合的な記憶は、半世紀以上にわたって蓄積され、きわめて膨大なものになっているが、韓国のシベリア抑留者は、反共宣伝の目的で刊行された記録物以外は、長きにわたって忘れ去られていて、生存者がようやく声をあげたかと思ったら、それもいくばくも経たぬうちに彼らが世を去るという、世論化はおろか記録さえもおぼつかない状況であった。抑留経験者ら自身による「シベリア朔風会」での運動(一九九一-二〇一二)、盧武鉉(ノムヒョン)政権下の日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の調査・記録活動(二〇〇四-二〇一〇)、民族問題研究所の支援などがあるにはあった。そのようななかで孤軍奮闘しながら、この歴史的出来事を韓国社会に知らしめるべく世論化に努力したのが、金孝淳(キムヒョスン)氏と『ハンギョレ』紙であった。

 本書は、その金孝淳氏が『ハンギョレ』などに連載してきた記事や文章をもとに編集した、氏の著書『私は日本軍・人民軍・国軍だった――シベリア抑留者、日帝と分断と冷戦に踏み躙られた人たち』(西海文集(ソヘムンジプ)、二〇〇九)の全訳である。邦訳のタイトル『朝鮮人シベリア抑留』は原著者と協議のうえ決めた。結果、メインタイトルとサブタイトルが原著と入れ替わる形となったが、これはやはり、日本と韓国における「シベリア抑留」という歴史的出来事に対する認知度の違いが理由として大きい。ただ、原著の「私は日本軍・人民軍・国軍だった」というメインタイトルもそれとして衝撃的である。日本軍や関東軍の兵士として出征し、日本敗戦の過程でソ連軍に捕らえられてシベリアに抑留され、生きて祖国に戻った朝鮮人青年たちの一部には、まず北朝鮮の朝鮮人民軍に入隊し、ほどなく勃発した朝鮮戦争で、なかには三八度線を越えて南側で捕虜となり、あらためて韓国国軍や米軍傘下の韓国人部隊の兵士になった者もいた。つまり、一〇年もしない間に何度も所属国家を変えて、兵士としての忠誠を誓わされ、戦闘行為に従事させられたのである。

 ただ、本書で触れられているのは、彼らのそのような朝鮮戦争前後の苛酷な体験や経歴だけではない。その後も、シベリア(ソ連)から来た、北朝鮮から三八度線を越えてきた、旧日本軍の軍人だった、などの理由で、南の韓国で、思想や忠誠度を疑われて生き地獄を味わい、その後、数十年経って少し世の中が平和になり、自分の身の潔白を明らかにし、補償を要求しようとしたものの、どこの国の政府からも、前例がない、証拠を出せと言われ続け、現在まで何らの補償も受けていない人たちの話である。本書の原著が韓国で出てさらに一〇年以上たっている。本書に登場する人たちのうち、抑留経験者を含めて多くの人たちはすでにこの世の人ではない。今回、本書の訳出を終えて思うのは、もっと早くこれを日本語で読めるようにしておくべきだった、という反省につきる。原著が出た当初、すぐに入手して読み、感銘を受けたが、もしこれを日本語に翻訳するにしても、自分よりもっとこの問題に深くコミットしてきた人たちが作業するべきだと思って、そのままにしてしまったのが悔やまれてならない。

 著者の金孝淳氏は韓国のジャーナリストである。一九七四年にソウル大政治学科を卒業後、東洋通信、京郷新聞を経て、八〇年代末に『ハンギョレ新聞』創刊に参加し、東京特派員・編集局長・編集人(主筆)を務め、二〇一二年に引退後も多くの社会活動や市民運動に関与している。単なるジャーナリストではなく、東京特派員を務めるほど日韓関係や東アジアの国際関係に通じており、また、八〇年代の韓国の民主化運動のさなかに新聞社を解雇された、多くの記者を糾合した『ハンギョレ新聞』の創刊に参加し、その後、記者として活躍するほど、社会正義や人権、市民運動などに深い関心をもってこられた方である。氏の著書として、『私は戦争犯罪人です―日本人戦犯を改造した撫順の奇跡』(二〇二〇)、『歴史家に問う』(二〇一一)、『近い国、知らない国』(一九九六)などがあり、本書以外の邦訳として『祖国が棄てた人びと―在日韓国人留学生スパイ事件の記録』(石坂浩一監訳、明石書店、二〇一八)や『間島特設隊―一九三〇年代満洲、朝鮮人で構成された親日討伐部隊』(仮題、近刊)があるが、このような著書のタイトルを一瞥するだけでも、著者がどのようなスタンスで世の中と対峙してきたかがわかるだろう。

 本書が扱っているテーマ―朝鮮人のシベリア抑留問題について、本書と一緒に読まれるべき先行書は、何といっても林えいだい氏の『忘れられた朝鮮人皇軍兵士―戦後五十年目の検証・シベリア脱走記』(梓書院、一九九五)であろう。金孝淳氏の原著(二〇〇九年刊)よりも一四年前に出た、やはり同じくインタビューをもとに構成したオーラルヒストリーの体裁をとったものである。インタビューされている朝鮮人抑留経験者の面々もかなり重なっている。林えいだい氏の本は、彼ら経験者らがまだ若かったためか、さまざまな出来事が記憶として臨場感をもって語られている。しかし、当時の国際環境的な事情で、取材で裏が取れないことも数多くあったように読める。金孝淳氏の本書は、先行書である林氏の調査を土台にしながらも、林氏が時代的な制約のためにできなかったさまざまな調査や、まだ進展がなかった出来事の経緯などをしっかり調べたうえでまとめられている。取材の範囲や期間も林氏のそれに比べて広く長い。そのような自らの作業を、著者は「日本人がずいぶん前から残してきた里程標を辿るような、気まずい状況」(「おわりに」)と言っているが、本書は後追いのレベルをはるかに凌駕している。また、本書では明示的に書かれていないが、それぞれの抑留経験者の運動に、著者の金孝淳氏自身がさまざまに支援しながら、深くコミットしていたであろうことも想像に難くない。そのような点で本書は著者自身の生の記録でもある。(後略)


【著者紹介】
金孝淳(キム・ヒョスン)
1974年ソウル大政治学科卒。東洋通信、京郷新聞を経て『ハンギョレ新聞』創刊に参加し、東京特派員・編集局長・編集人(主筆)を務めた。2007年から現場に戻って「大記者」の肩書きで活動し2012年に退社した。「フォーラム真実と正義」共同代表を務め、韓日関係、東アジアの平和・和解・市民運動などをテーマに執筆し、歴史から葬られた人々に対して関心がある。著書に『私は戦争犯罪人です―日本人戦犯を改造した撫順の奇跡』(2020)、『歴史家に問う』(2011)、『近い国、知らない国』(1996)などがあり、邦訳として本書以外に『祖国が棄てた人びと――在日韓国人留学生スパイ事件の記録』(石坂浩一監訳、明石書店、2018)や『間島特設隊――1930年代満洲、朝鮮人で構成された親日討伐部隊』(近刊)がある。

【訳者紹介】
渡辺直紀(わたなべ・なおき)
武蔵大学教授。専攻は韓国・朝鮮文学。1965年東京生まれ。慶応大政治学科卒。出版社勤務などを経て渡韓。韓国・東国大学校大学院国語国文学科博士課程修了(文学博士)。高麗大招聘専任講師を経て2005年より現職。東京外国語大学非常勤講師。カリフォルニア大サンディエゴ校客員研究員(2011年度)、高麗大招聘教授(2018年度)など歴任。主著に『林和文学批評――植民地朝鮮のプロレタリア文学と植民地的主体』(韓国・ソミョン出版、2018)、訳書に『闘争の詩学――民主化運動の中の韓国文学』(金明仁著、藤原書店、2014)、『植民地の腹話術師たち――朝鮮の近代小説を読む』(金哲著、平凡社、2017)、『帝国大学の朝鮮人――大韓民国エリートの起源』(鄭鍾賢著、慶応義塾大学出版会、2021)など。

※肩書・名称は本書刊行当時のものです。


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