クラブ体験記(後編)

※記憶の曖昧さなどの理由から、内容には筆者の想像や妄想が含まれる。

—第1幕—

 ダンスフロアに降臨した俺は、さも慣れたような雰囲気を纏いながらビートの波に乗り始める。キレがありつつもやり過ぎない程度のムーヴメントを維持しながら、周囲の様子を伺う。24時を過ぎる前にしては珍しく、活発に動いているダンスガールたちがフロアに点々と咲いている。今夜は楽しめそうだな。

 しかしすぐに女の子にアプローチするなどという下策はとらない。まだ夜は長いのだ。序盤はダンスに徹し、俺がダンス好きでクラブ遊びに慣れている男であるように印象付けておく。この布石を活かせば、同じくダンスに興じている女の子に親近感を与えたり、後々のトークの主導権を握ったりしやすくなるというわけである。

 そんな目論見を胸に多彩なステップを使い分けながら爆音に身を任せていた俺の視界に、クラブ慣れしていなさそうな若い男の姿が入ってきた。本人は音楽に合わせて踊っているつもりなのだろうが、キョロキョロしながら中途半端に手を上下し、前進後退という2拍で完了するステップを繰り返している様子は、盆踊りと言った方がしっくり来る。「童貞盆踊り」とでも呼ぶことにしよう。フロアの中央付近で明らかに浮いている彼の、ある意味で独創的な蠢きに目を奪われていると、向こうもこちらに気づいたのか目が合った。すると何を思ったか、ヴァージン・ボン・ダンサーは動きを幾分大きくしてこちらに迫ってきた。瞬時に彼が俺とセッションのようなことをしたいのだということは理解したが、はたから見たら昆虫の求愛行動とそう大差ない。普通なら無視してしまうところであるが、俺はあえてその誘いに乗り、アレンジした童貞盆踊りを披露する。周囲に俺のノリの良さをアピールし、ダンスのキレの違いを見せつける絶好の機会を逃す手はないからだ。幸運な彼は、おそらく初めてであろうセッションの成功に気を良くしたのか嬉しそうな顔になり、盆踊りの勢いも増している。しかし俺は慈善活動のためにここに来たのではない。ちょうど曲が変わったあたりで彼との友情ごっこにピリオドを打ち、平常運転に戻る。あまり長くやり続けて周りから仲間だと思われるのも困るからだ。

 そんな俺の地道な努力が実を結んだのか、5分後、ちょうど目を付けていた長身の女の子と、踊りながら目が合った。こちらが見つめ続けても目を反らそうとしない。それどころか笑顔を返してくる。これ以上ないほどの脈アリのサインだ。視線を交わしながらホットにダンスを続け、息も上がってきた頃合いでバーカウンターに彼女を誘う。答えはもちろんイエスだ。これから訪れる夢のような時間に胸を高ぶらせつつ、俺、山田太郎は彼女の手を取ってダンスフロアを後にした。


—第2幕—

 裏切りが起こった。断じて許すことのできない裏切りが。義兄弟の契りを結んでおきながら寝首を掻くかのような、おぞましい、人道を外れた裏切りが。

 ドリンクをちびちび飲みながら周りの様子を観察していた男、西村某は意を決したようにグラスを置き、フロアの中央に進んだ。下調べしていたように、前方で激しく踊る者もいれば後方で静かに佇む者もいる。せっかく来たのだし何となく踊ってみようという心持ちで、男はその中間のゾーンに向かったのだ。最初の10分ほどは周囲の目を気にして抑えた動きをしていたが、やがて酒も回ってきて調子に乗り、いつも軽音サークルのライブで見せているような動きに多少の味付けを加えて踊り始めた。悲しいかな、彼の脳内では他の客と同レベルのダンスをしているのだが、実際には童貞盆踊りであった。

 それはともかくとして、しばらく踊っていると近くの男、かの山田太郎と目が合った。服装はさっぱりとしていて、ザ・パリピという感じはない。そんな理由で何となく親しみやすさを覚えた男は、ぎこちない笑みをマスクの下に浮かべながら、盆踊りでその若者に近づいていった。するとなんと、彼がリズムを合わせて踊ってくれるではないか。男は有頂天になり、さてはこいつも自分と同類、慣れないクラブで共闘する同士を探しているのだなどと勝手な想像をし、彼との絆を深めながらペアで女の子に声をかけていけばワンチャンうまくいくのではないかなどと期待に胸を膨らませた。時刻は1時。先に述べておくが、閉店時間である朝5時までクラブに居続けた男が店員以外と行ったコミュニケーションは、これが最後である。これが、最後、である。

 山田が自分とのセッションを終えると、男はさらにアルコールを入れるべくバーカウンターに向かった。ジンのショットを一気に飲み干し気合に満ちた男は意気揚々とダンスフロアに戻り、5分前に盟約を結んだばかりの同胞の姿を探す。先程と同じ場所にいたためすぐに見つかったが、何やら様子がおかしい。男が25年連れ添った両の眼球を疑いながらやっと認識したのは、信じられない光景であった。つい先ほど、熱いツイン盆踊りで魂を共鳴させたはずのソウルメイトが、女、それもスタイル抜群の美人と笑い合いながら踊っているではないか。小早川秀秋も顔負けのあまりにも早い裏切りに、男は呆然と立ち尽くしてその様子をただ眺めていた。かつての同士が女の手を取り、すれ違う自分には目もくれずにバーカウンターに向かうのを見ながら、酔いが急速に醒めていくのを感じていた。

 それから2時間ほど経ったであろうか。フロアの盛り上がりは最高潮に達し、人口密度が高まった空間の風紀は乱れきっていた。顔を近づけて見つめあう男女、5秒に1度スキンシップをする男女、これらはまだ善良な方で、フロアの隅では接吻を行う男女に永遠に抱きつきあっている男女など、やりたい放題の無法地帯であった。

 さてそんなスラム街と化した空間で男が何をしていたか。言うまでもなく、童貞・マザーファッキン・盆踊りである。歴史的な裏切りの後、彼の周りでは次々と男女がその仲を深めていったが、彼自信の身には驚くほど何も起きなかった。自発的なアクションを何も起こしていないので当然と言えば当然なのだが、男はなぜか周囲を軽蔑しながら自分が硬派であると思い込み始めた。こじらせの中でもいち早く専門医の受診が求められる危険な症状である。

 こんな調子ではその後閉店まで粘ったところで何かが起きるわけもなく、閉店30分前になっても男は独りでダンスフロアに佇んでいた。その頃には普段の運動不足が祟って足腰も悲鳴を挙げていたため盆踊りすら行えず、壁に体をもたせかけながら電池切れかけのガラケーのバイブのようにかすかな振動を行うことしかできなかった。

 やがてクラブは大盛況のもとフィナーレを迎える。男は誰に頼まれて残っているわけでもないのに、やっとこの場所を出られる、と謎の解放感を覚え、聞いたことのないEDMやK-POPを完全に勘で歌いながら、往年のキレを取り戻した童貞盆踊りを披露していた。もうヤケクソである。老体に鞭打ち飛び跳ねながら、どう考えても防衛機制として脳が無理やり感じさせているだけの全能感を満喫し、男は初めてのクラブ体験を締めくくった。店を出て、それからのことはあまり記憶がないが、始発が来るまでの間、9月下旬明け方の寒さに身も心も耐えられず牛丼屋に駆け込み、店員の迷惑そうな顔にどうしてかわからないが安心したことだけは覚えている。後遺症として現在も残っている足指の血豆を見るたびに、男は苦々しい夜を思い出すのであった。

—完—


あとがき

 お読みいただきありがとうございます。クラブは恐ろしい弱肉強食の世界なので精神修行をしたい方以外にはおすすめしません。私は自らを高めるために半年に一度くらいは行こうかと思っているので、万が一興味のある方はお声かけください。

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