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弥生が散った、卯月が咲いた。

 ちょうど一年前も、同じタイトルのnoteを書き残していたんです。
覚えてくれてる人いるかな。

 一年前のnoteより。
当時は一年前を振り返る時が来るほど活動を続けれていないと思っていたと思います。
それがニ周目にはいって、散ったと言っていた三月に小説家になって。
人は変われて季節は巡るんだなって、当たり前のことを実感しているところです。
これは初めての感覚。

 今年の三月の散り際はすごく綺麗でしたよ。
いろんな方から言葉をいただいて、出逢えて、ひとつ夢を叶えられて、新たな夢をみつめ直せて。まだ咲いてないけど桜のような散り方でした。

 一年の季節をひとつだけにしてと言われたら、私はきっと春と即答すると思います。
なんというか言い訳しやすい季節だから。
出逢いと別れの流れに縋って忙しいフリができるというか、生きてます感が演出できる。春はそういう季節だって概念的に甘えてました。
でも今年はそんなこともなくて。
今年の春は生まれて初めて触れる春になれる気がしています。
十七度目の春、知らないことを知りたいです。

✴︎

 三月二十八日、無事デビューすることができました。
デビューの定義はきっと人それぞれだけど、私は『デビューおめでとう』と応援してくださっている方、憧れの方から言っていただけた言葉をまっすぐ受け取りたいのでここをデビューとさせていただきます。

 この期間で改めて人に恵まれていることを感じました。
絶対叶うよと言ってくれていた存在、発表後にお祝いしてくれた方、アンソロジーでご一緒させていただいた方々、そこで初めて出逢った方、PDFの意味すらわからない私に丁寧に指導してくださった担当編集の方。
未完成な私は数えきれない数の暖かさに手を引かれてここにいるのだと思いました。
綺麗事に聴こえるけど、実際すごくそうだと思うので。
自分の力だけでここにこれた!なんて思えるほど傲慢な感情は抱けないです。

 ちょっと視線を移したら圧倒されてしまうような場所だからこそ、常に頑張りたいと難しさが競るような場所だからこそ、掛けていただいている言葉のおおきさに励まされています。
『叶うよ』の言葉をまっすぐ受け取れない時もあるけど、それでも叶えようと思わせてくれるから。
だから本当に、いつも、ここまで、ありがとうございました。
これからはこれまで以上に綴音夜月として頑張っていきます。
月が欠けているうちに、その形の変わり方を感じてほしいなと思います。
いつか何よりも綺麗に満ちた月になります。

 書店で『綴音夜月』の文字列をみた時、自分じゃ無い感覚を覚えました。
すごく不思議でしたよ。
小説を描いていても私自身に大きな変化はなくて、みてくれている方が増えても私自身は私のままだったから。
綴音夜月を離れたところからみているような感覚。
でもそれがすごく安心して、何もなかった自分の身代わりが誰かに認められていることが自分のことのように嬉しかったです。
すごく変なこと言ってるなってわかってるんですけど、感じたことをそのまま言葉にするならこの言葉が正確だと思います。

 だからもっと先に進んでいく綴音夜月をみてみたいって思いました。
どこまでいけるんだろうって、初めて自分に期待しちゃいました。
それと同時に手を引いてくださっている方への恩返しとして、ひとつの形に残して手渡すためにこれからも言葉を綴っていこうと自分自身に再確認しています。
素敵な作家になりたいです。

✴︎

 夢がないことがコンプレックスだったけど、今はそれすらよかったのかもしれないと思えています。
小説家になるために、じゃなくて誰かに想いを伝えるために言葉を紡げる人になれてよかったと思えるから。
そこに小説家という素敵な名前をつけてもらえてよかった。
今はすごくそう思います。

 人は何度でも夢をみれると知ったから、私はそれを時間の許す限り叶えていこうと思います。


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