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Re:live

 この決断を勇士と捉えられるか、情けないと捉えられるか。
それくらい紙一重なことの連続だった一週間でした。

 10月2日の裏垢
この日は自分自身の中で怖いほど整理がついてて、活動以外ならなんでも辞められるくらいの感覚があって今考えるとすごく恐ろしいです。

このツイートはひと段落した朝に呟いたものだった気がします。
10月1日の19時半あたりに帰宅して、自部屋に入ってすぐ床に転がりました。
一週間くらい上手く眠れなかったこともあって、信じられないほど頭が重くて手足が痺れてて、『眠い』っていう感覚に反して、ずっと目だけは冴えているような。

次に時計をみたときは21時過ぎ。

 その間のことはよく覚えていなくて、でもなんとなく意識がはっきりしたような気がして
それと同時に『やばい、死ぬ』っていう焦燥感があって、急かされるように時計を撮りました。

 そのまま動くことはできなくて、視界がバグった液晶のようになって。
誰かに意識が乗っ取られているような気がして、操られているような、そんな感覚でした。
それから少しして母が来たことは覚えていて何かを話した記憶はあるんですけど、何を話したかは当時もわからなかったです。

 声を発するだけで言葉にもなっていなかったのかもしれない。
何をみて、何を発していて、何を考えているのかすらわからなくて、追いつけないまま次に時計をみたのは日を跨いだ1時でした。

 とりあえず外に出て、一時間ほど歩いて帰宅。
歩いている途中にTwitterを確認すると数件のタグとリプライを返していて、なんとなくの覚えと、違和感が重なっていって帰宅後に母へ確認することにしました。

『夜月だけは辞めたくないから』

 そう言いながら何かを打っていたと。
わかったのは2時過ぎです。本当に、綴音夜月と私は別なんだって、改めて実感しました。

ー*ー*ー*ー*ー

 その日から昨日まで、一つの決断について考え続けました。
辞めてしまうことは簡単で、でもきっと後悔はあって。辞めてしまうことは無責任か自衛か、続けることが正解か、犠牲か。繰り返したらキリのないような事をずっと。

 10月3日
一つの段階として『脱退』の話を一人の大人へしました。
理由を問われた時に言葉が素直に出てこなくて、『あれだけ考えていたのになんで』ってもどかしくて。
ただその決断を止める事なく、進めてもらいその日は終わりました。

 あとはバンドを仕切っている責任者に言うだけ。
正直怖くて、いくらあっても足りないくらい心の準備が必要だった。でも数日後にライブを控えている以上、適当なことはできなくて離れようとしている場所で歌い続けていることが怖かった。

ー*ー*ー*ー*ー

 10月8日 ライブ当日
目が覚めなければいいと願って眠った夜が明けて、ちょっと嬉しかった。
めずらしく活発なグループラインをみて、その抜けた雰囲気に不覚にも和んでしまった。
これで最後なのかなって寂しくなった。情けなかったけど。

後ろめたいまま会場に入ってリハーサルが始まって、離れるはずの場所でいつもよりいい機材で歌って、だんだん勝手に名残惜しくなっていって。
辞めたいことも本当で、いればいるだけ擦り減っていく感覚も確かで、でもまだ可能性を探している自分がいることも嘘じゃなかった。
混乱したまま本番のステージに立って、最前列で名前を呼んでもらった時、単純かもしれないけど『まだ辞めちゃだめだ』って思えた。

ー*ー*ー*ー*ー

 約一週間の葛藤が、きっと終わった。
この決断が正しいかどうかはわからないけど、後悔のないように、この答えを正解にしたいと思った。
結局美談かよって思われちゃかもしれないけど、正直まだ美談になってない。
だから誰よりも弾いて、歌って、描きたい。
綴音夜月も私も辞めたくないって今は思えています。

 『Re:live』
生まれ直したような感覚の今、もう一度それぞれに向き合うために。
明日正式に脱退申請の取り下げと、話をしてきます。


全部やりきる、生きているうちに、描いて、歌う、弾く。
もう、何かを獲るために、どれかを失うようなことはしたくない。

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