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語りかける、細胞

 消せない何かを纏って生きていくという不可抗力。
重苦しい話をするつもりはないのですが、ちょっと深い部分の話を今日はしたい気分です。

 怖いんですよね、ずっと。
忘れたくないはずの人、瞬間、曲名は忘れていくのに
忘れてしまいたい傷痕を忘れられずにいる現状が。

 不意に脳を駆け巡って、結びつけて再生する。
田舎暮らしの私が都会の灯りを液晶越しに見て、都会に住んでいた頃の不幸な幸福を思い出して、
空港を見て、あの日の決別を背負った離陸を思い出して、
『両親』という言葉を聞いて、荷が重すぎる決まりきったあの日の選択肢を思い出す。

 薬のからを見て、あの日の救急車内を思い出して、
薄暗い路地を見て、あの日の通塾帰りの幼い青春を思い出す。

 これをトラウマと呼ぶか、苦い記憶と呼ぶか。
曲でも、押し付けでも流しきれない。
数年経とうと忘れることのできないこと。

 ただそれがなかったら今の活動はなくて、
『綴音 夜月』はいないという皮肉に礼を言うべきか、嘆くべきか。

 もし『その記憶を全て消せるボタン』が目の前に現れたら
そんな安直な設定が起こったら、私はどうするだろう。
ーーきっと押せない。

 私はたぶん、このぐちゃぐちゃに依存している部分があるんだと思います。
この眉間の辺りでぐちゃぐちゃうじゃうじゃした感覚に。
失いたいと思っている反面、失ったら何が残るかという喪失感を恐れている私が確かにいます。

 恨みも悔みもなければ、息が詰まることもない。
そんなことをわかっていながらも、忘れてはいけないと記憶を抉っていくんです。
醜いまま、美談として片付けさせないために。

 そもそもそれを負うことのない人生だったらもっと息がしやすかったのかなとか思うんですけど、
それがあったからこそ生み出せるものがあると思っています。
ぐちゃぐちゃで醜い感情だから届くものがあると。
評価されるか、万人受けするか、そんなことはわからないけれど
届くのは、グロテスクで生々しくて痛々しい。そんな感情の言葉だとどこかで期待しています。

『人生』とか15年しか生きていない小人が言ってますけど
ふと頭を過ってしまったので書き留めておきますね。

 『語りかける、細胞』
この感情はきっと届くべき人にしか届かない。
届いた人には細胞レベルで届いてしまうものだと思う。
だから今。
綴音自身の細胞に当時の感情を問う。

貴方の細胞に最大限忠実な感情を注ぐ。

それがきっと惨さを生かす手段だから。

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