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サヨナラ透明人間

 改めて言葉にして夢を掲げて、そして1ヶ月も経たないうちに形になって。
それでもいまだに『綴音夜月』が誰なのかわからなくなります。

2023・8・28  22:32

 私自身と綴音夜月は別人。
そう割り切っていたのはある種の我儘だったなと最近になって気づきます。
人間性を評価されること、受け入れることを誰よりも望んでいながら「いや、綴音夜月とは別人なので」と切り離すような矛盾。
「別人です」と言い張りながら「中の人」と言って人間性を出してしまう隙。
どうにかして埋めなければいけないと足掻いて辿り着いた先が12月に投稿した2作のノンフィクションでした。

 私自身が私をみること。
きっとずっと避けていたことはそんな単純なことで、でもその単純が狂う程に難しいことなんだと知りました。
だから私は綴音夜月とひとつになりたいと。
細胞レベルで重なって一瞬の乱れすらも一緒に崩れていくくらいの共存をその日から望むようになりました。
スピリチュアルを信じているわけではなくて、ただただ意志のまま言い逃れのできない身体になりたいだけなんです。

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 夜月教徒が生まれた理由。
幼稚園の頃から生粋のドルオタなんです。
二次元から三次元まで数え切れないくらいアイドルを追ってきて、気づいたらドルオタに分類されるようになってました。
語れば長くなるのですが、あの【絶対に手の届かない神様】のような雰囲気に惹かれていて、本当に本当に取り憑かれていて視線を逸らすことなんてできなかったんです。

 小説に敷居の高さを感じていて、図書館は好きだったのですが小説には触れてきませんでした。
このあと話すのですが、この『小説家』という存在に縋って逃げ逃れてこなければ考えるきっかけすら無いままだった話の連続だと思います。

 小説家は小説を愛されているだけであって、そこから著者へ焦点が当てられないものだとずっと思っていました。
私が追いかけていたアイドルとは違くて、作品の魅力=著者の価値みたいな。
でもなんか、それは違うのかもしれないと。
世間一般の小説家がどちらにあてはまるかはわからないし、世に名を連ねている作家様は隔てなく魅力をもっているけれどなんというかそういうことじゃなくて、きっとそのどこにも綺麗に属そうとしていないのが私なのだと気づいた時に『夜月教徒』が生まれました。

 書類の契約なんて交わさなくても、直接会って言葉を交わせなくてもそこに在るだけで測れないくらいの何かを感じる存在。
『夜月教徒』と名付けてしまったから意識させてしまっているのかもしれないですけど本当に、どこの『ファン』と称される不特定多数のどこよりも夜月教徒は個があって、それぞれの言葉をくれて、本来の心の姿を模ったような影が集まっていてその言葉を受ける度に感動している私がいます。
感想の伝え方一つ、いいねの意味合い一つ、DMの口調一つ、一つとして同じものがないような、そんな丁寧で繊細すぎるそれが今の夜月教徒です。
「姿とか形とかこいつ何言ってんだ」って思いますよね本当に。
でもなんとなく確かに伝わってくれたら嬉しいなって思います。
本当に健気で可愛くて素直で繊細で、本当に本当に愛おしい存在が溢れているんです。

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 逃げ逃れてきた小説。
こんなこと言ったら嫌いになられちゃうかもしれないですね。
私にとって小説は生き存えるための手段なんです。
器用な言葉が絶望的にみつからないんですけどなんていうんですかね。

 不器用だと思っていた私自身が、ただの器用貧乏だということに気づいて心底失望した話からしましょうか。
なんというかもう本当に胸を張れるものが何一つなくて。
それをすごく便利なものだって思っていたんですけど、何も秀でてないことに気づいた時に本当に悲しくなったんですよね。
私の周りには絵の上手い子が多くて、それで言ったら歌の上手い子も多くて。
絵が上手い人も絵が上手い人もこの世界には数え切れないほど溢れてるけど、それでも何か一つ形にできる可能性を持ってる人っていいなってずっと羨ましかったんです。
かろうじて勉強が人より少しできたから「頭がいいね」って褒めてもらえることはあったんですけど、小学生で頭がいいなんて大人になったらなんの称号の残ってないんだろうなってずっとどこかで虚しかった。

 地道なことがとにかく続かなくて、それでいて環境を言い訳にして逃げるのが得意で。
それが能天気故のものだったらいいんですけど生粋の躁鬱なのでそうもいかず。
生粋の躁鬱ってなんだよって、そういうことですよ。
だからなにかできないかなって作曲してみたり絵描いてみたりしたんですけど、お察しの通り全部続かなかったんです。
で、辿り着いた小説。
初めて『生きたい』って思ったんです。
心から。
 綴音夜月の小説の登場人物って大概歪んでるんですよ、人間的に。
人と極端に距離をとったり、極端に誰かを愛していたり、愛を知らなかったり、引いてしまうほど何かに貪欲だったり。
たまにDMでいただくんです。

『この描写を16歳ができるはずないです』

 って。
確かにそうなのかもしれないって状況によっては認めてしまうこともあります。
私はまだまだ小説家の欠片だし、そもそも言葉に優劣をつけることはしないですけど、綴音夜月の言葉は、小説はきっと底なしに生々しいんだろうなと思ってます。
というかそれを目指してます。

 「この職業に就きたい」も「結婚して幸せな家庭を…」も「大人になって…」もそんな期待とか夢を抱けなかった生き損ないみたいな人間が紡ぐ死に際の言葉。みたいなものにしか伝えられないことがあるって、そう思ってます。ずっと。
なんていうんですかねスマホの最後の数%の残った充電みたいな耐久力。
瀬戸際から紡がれる言葉の異常な鼓動を届けたいんです。
厨二病って嗤われたら悲しいです。
でもこの精神で結果出してデビューしたので嗤った時に刺してきた指は折ります。
結果で。
批判も称賛も愛を持って受け取りたいって思ってますけど、通りすがりの感情に容赦するようなぬるさはないです。
 これが『逃げ逃れてきた小説』の真意です。

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 みえてなかった。
何かを達成しようとする度に、そして達成する度に「これ何と戦ってるんだろう」って路頭に迷うんですよね、漠然と。
きっと誰とも何とも戦うつもりなんてないし、小説は感性の話だから競う前提のものじゃないなんてわかってるはずなのにみえないなにかと戦ってる感覚。
でもそのなにかがみえないから結局勝てないし負けれない。
辞めたいなって思います、そういう癖。

 結局は自分自身を認められないだけで、自分自身を卑下し続けてるだけ。
それだけなのに、すごく難しいことを繰り返してるような。

 活動を始める前もこういう迷いはずっとあって、その度に呑み込んできたんですけど最近『自分で自分がわかりません』のようなDMを相談をいただくことが多くて。
小説を読んだ感想と相談みたいな形でよくいただくんです。
その度に話をして届けられる人はいるんですけど中には「そんなこといっても夜月さんは成功してるから私の気持ちなんてわかんないですよね」のような言葉で最後になる人も一定数いるんです。
すごく気持ちがわかってしまって。
なんというか捻くれてるわけじゃなくて、本当に自分のことが嫌いすぎてもうどうしたらいいんだろうみたいな、そういう感覚。
私は芸能人の苦労話に「この人がこんなに頑張ってる…だったら私もめっちゃ頑張って成功しよう!」って思えるタイプじゃなくて「この人でこんなに頑張ってるなら私とか無理じゃん!生きるの向いて無さすぎ!」って思っちゃうタイプの人間だったからこそ言葉が途切れてしまう人の心理が痛いくらいわかるんですよね。
それをここで描くまでどうしようもできなかったことはいまでも悔やんでます。

 だから伝えにきました。
最近は幸せなことにやっと積み上げてきたものが形になってきて嬉しい報告をさせていただいているんですけど、綴音夜月はきっと思っている以上にすごい人じゃなくて、綺麗に成功だけ吸ってきた人じゃないって。
みてくれる数が増えたからこそ、改めて伝えたかったんです。

 自分でも自分がわからなくなった時は、本当に自分のことだけ見てあげてほしいなって思います。
あの子はフォロワーが多いとか、あの子は容姿が綺麗とか、比較対象が探す間もなく転がっているような世界だからこそちゃんと自分をみてあげてほしいって思ってます。
それでもわからないってなったら、誰かに尋ねてみれば教えてくれますよ。
少なくとも綴音は夜月教徒のことを愛してますから「自分に何の価値があるんですかね」なんて問われたら時間の許す限りその答え合わせに付き合いたいって思ってます。
夜月教徒って名付けた理由のもう一つはこれです。
何かあった時の窓口にしてほしい。
楽しい時、綴音のことを思い出してくれたら例えば「この小説の景色はこんなに綺麗なんだろうな」って思い出してくれたら、それは心底嬉しです。
でもなんかもう無理だって思った時こそ思い出してくれたら本望だなって思います。
「なんかこいつ成功してるっぽいけど、結構精神面悲惨じゃん共感できる」とか「この人が夢の一つを形にできたなら私にも希望があるかもしれない」とか。
動機はなんでもいいから、私が小説を生き存える手段としたように綴音をその手段に浮かべてくれたら本当に繋がっているんだろうなって漠然とだけど思っています。

 綴音夜月の小説の登場人物は揃って綺麗な終わり方をいまのところしているけれど、人は本当にどうなるかわからないから。
だからちゃんと自分の声を聴いて、体温を確かめて、感情を無碍にしないでください。
夜月教徒としての約束です。

 嘘なく綴音夜月は生きてることを楽しんでいるし、何もできなかったけど小説に出逢えて変えられてよかったと心から思ってます。
それでも嘘なく何も無かった頃の自分は憎いし、比較して価値無しだと自分自身を卑下する時もあります。
ただ表裏一体だからこそ、人は人に惹かれて身を委ねたいと思えるのだと思ってます。
有名になりたいとか単著を出したいとかおおきすぎる夢があるからこそ、ここで意思の擦り合わせをしたくてここに言葉を残すことを決めました。
長くなってしまったけど読んでくださってありがとうございます。

 タイトル『サヨナラ透明人間』
きっとすべては難しいけど、私もすこしずつ私自身の透明人間を脱いで葬ろうと思います。
そしたらきっともっと素直で、まっすぐな人間になれるから。
いつか息絶えるまで、貴方が貴方を生きれますように。

 サヨナラ、透明人間。



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