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消化しきれない醜さ

 『漠然と恐怖を感じる時が生きてると実感する瞬間』
先日投稿した中にある言葉ですが、全否定したいのが今です。

『恐怖』自体そもそも無かったんじゃないかなって思う程
全てを合法的に手放したくて、その選択が正解だと言われたい。
抱えているもの全てに嫌気がさしてます。
勉強も進路も音楽も対人関係も見えてるもの全て。

小説関連は綴音としての関係は例外です。
それは今回の話の大前提。

話は戻るのですが、正直全部辞めたい。
意欲とか関心とか全部もともと無かったみたいに剥がれて
「やらないと」っていう義務感と
「自分だけが落ちぶれていく」という焦燥感だけが自分の中にあって
ずっと息が詰まっているような。
今止まったら、悪夢を見るのは数年後の自分で
恨まれるのは、間違いなく今の自分で。
そんな最悪な構図がずっと頭をよぎります。

何かを聴いているとか
この手が動いているとか
自分が何かを発しているとか
そういう人間的何かを改めて感じてしまうと
どうしようもない嫌悪感を抱いて
殺してしまいたくなる。

こんな需要もない話を連ねている今も不思議でしょうがないです。

とにかく今は追いつかなくちゃいけなくて
置いていかれることは論外で。
そんな空間の雰囲気に圧死しそうです。

きっとそこから派生してのことなんですけど
人と壁を感じる瞬間が異様に増えました。
すごくありきたりで陳腐な表現だけど
「居ない方がいいんだろうな」
って反射的に感じて、距離を取る方法ばかり考えてしまって。
相手にとってメリットがあるであろう部分を切り取って
距離をとって、都合よく笑っていれば過ぎる
振り返るたびに虚しくなります。

ここにどれだけ書いてとしても
何も手放すことはできなくて、
辞めることはできないです。
表で書くのは気が引けてのでここに隔離しておこうかなぁと
なんとなぁくの配慮をしてみました。

『消化しきれない醜さ』
本当はもっとありがとうとかこれからも頑張りますとか
前向きな言葉を並べていのですが
こういう日があることも許してくれると嬉しいです。
ではまた、今度はちゃんと
綺麗なことをかけますように。


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