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届いてほしいです。

 間接的で直接的な批判を受けることの厳しさを初めて身をもって知りました。
受け取った瞬間は息が詰まって、視野も狭くなって、作品のラインを迷ったし編集中だったこともあり投稿を取りやめることも頭をよぎりました。

 『君の透明な心臓にサヨナラを』ノベマ!短編コンテスト応募作品として描かせていただいた作品です。
その中で主人公が持つ『共感覚』というものが問題の焦点でした。
前提として、私はこのワードや特性で数を稼ごう、評価を得よう、共感性をかき集めようなんてことは考えていないです。
このコンテストのテーマに『同世代が心救われる』という言葉がありました。
人とは異なる何かを持っている苦悩を『物語』という形で晴らせたら、少しでも肩の荷を下ろせるきっかけとなれば、そんな気持ちで取り上げさせていただいた話題です。

 このワードに焦点を当てた二週間、ほぼ毎日図書館に通い数十冊の本を読みました。
学校の図書館、市が運営する図書館、あるだけの資料とインターネットに掲載されている実話や論文を擦り合わせながら、その言葉に向き合いました。
失礼のないように、得た情報を書き留めて最終的には要点をまとめて自己満足でしかないですがレポートのようなものを書き、制作に取り掛かりました。

 「私はこんなに時間を費やしたんだ」と主張したいわけではなく、決して軽率な気持ちで今作のワードとして取り扱ったわけではないということを知っていただきたいです。
生半可な気持ちで何かを取り上げたことも、作品を描いたことも私はないです。

 ただの数稼ぎ、評価目当てならもっと杜撰な書き方をしているし、言葉なんて選んでません。
人が好きそうな、食いつきやすいような単純な言葉を並べるという選択をとっているでしょう。
ただそんなことはしたくないから、私の活動は承認欲求を通り越した目標があるから。
だからどうかそこだけは、受け入れていただきたいです。

 私のこれからの作品に今作のような繊細に扱うべき事象が登場するかもしれません。
事実、明日投稿予定の話もそうです。
人の死一つ、病気、個性、セクシャリティ、今は繊細に扱うべきことが日を重ねるごとに増えているように感じます。
それらに焦点を当てることを不快に思う方もいらっしゃると思います。
私の作品は必要としている人に、必要な時に届けばそれが本望です、強要する気もありません。

 ありふれた表現ですけど好きなものは人それぞれだから。
求めている誰かに届けばいい、それすら否定される世界になって欲しくないです。
もし今後、私の配慮が本当に欠落していて、誰かの心を直接的に抉ってしまうようなもの生み出してしまった時は心の底から反省し、更生します。

 心から向き合って創り出した何かに後ろ指を刺されて、感性の反対側に位置する方々に刺された指に頭を下げるという傷つき方をしてほしくないです。

 読んで、受け取ってくださった方々ありがとうございます。
綴音はもう大丈夫です、明日もまた息をさせてください。

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