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ちょっと頭を冷やしてみた、そう思った。

 書籍化したいと、ずっとずっと思っていた。
それは変わっていなくて、思いが薄れる瞬間なんてない。
それでも少しだけ頭を冷やしてみたくなった。

 冒頭にもあるとおり、私は書籍化したいです。
書店に『綴音夜月』の書籍を置いていただくことが夢で、応援してくださっている方々への恩返しの形なのかなと思っています。
なんですけど、私は結構悲観的で。
このまま数あるいろんな娯楽から遠のいていくような生活、娯楽に手を出しづらくなるような生活が続いた場合、本の優先順位なんて高くはないんだろうなって思うんです。

 数百円、千数百円を生活に充てなければいけない時がきたら、書店に並んだ私の本なんて誰が優先順位を高く設定して手に取ってくださるんだろうって。
不意にそんなことが頭をよぎりました。
失礼な意味ではなく、当然のことを気付かされたという意味です。
きっと私も好きなアーティストのライブに行ってしまって家賃が払えないなんて状況になったら、そのライブは断念します。
そういうことです。

 そう思った時、絶対に減らないものって時間なんですよね。
働かなければいけないとなったらその分時間も削れてしまうと思うんですけど、情勢によって無条件に奪われないものってきっと時間しかないんです。
なんていうんでしょう、奪われるかもしれないけれど護れるものというか。
私は今全ての作品を小説投稿サイトに投稿させていただいています。
全作品、際限なく無償で手に取っていただくことができます。
当たり前ですよ、何者でもない人間の文章ですから。
それでも、私は駄文を描き垂らしたことは一度もないです。
それは、誰かの時間をいただいていることだから。

 その作品を手に取ってくださった方がどんな感想を抱いたとしても、小説を読んで後悔したとしても、その読んだ時間は返ってこないから。
だから私は、全ての作品を書店に並べる気持ちで小説を投稿してます。
いずれ娯楽から遠のいたような生活水準が一般化したとしても、誰でも小説に触れられるように。
『書籍化』が夢の形ではあるけれど、どこのどんな生活を送る人でも人が描いた言葉に触れられるように。
それがきっと、私の本当の夢なのかななんて、冷やした頭から夢の核心が浮き出てきました。

 きっとこんなことが言えるのは、精神衛生の掃除が終わった数時間だけなんです。何かに焦ったら『書籍化』しないと価値がなくなるって何もみえなくなってしまうんですけど、根底にある想いを忘れないようにここに残しました。

 どんな基準がつく時がきても『綴音夜月の一冊』を大切に抱きしめてくださる方がいてくださったら嬉しいですね、我儘な願いですけど。
我儘な願いで終わらせないように、これからも頑張ります。
新作、楽しみにしていてくださると嬉しいです。

 数年前のいつかに聴いた話だと、『何になりたい』よりも『どう在りたい』を語れる人の方が実現に近い像を描けるようですね。
本当かどうか私にはわかりませんが、その話を聴いた日から私はよく『在りたい』を多用するようになりました。
 中学二年生の頃に書いた新聞インタビューでの言葉『言葉で人の心を動かせる人で在りたい』いただく感想や出逢った方からの言葉を読む限り、実現できているような気がします。
なので『在りたい』を信じる価値はあると思います、根拠は私です。
心から言葉を紡げる人間で在り続けられるように頑張ります。

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