尾道はなぜ緑に染まるのか
先日はじめて看板の色について質問をされた。今回は私の考える緑の理由をもう一度まとめてみたいと思う。
『みどりへの想い』
この世には慈悲という力の1つが存在している。
また何か遠いところから話がはじまったと感じた人もいるかもしれない。
ただ、これは残念ながら一言で説明するのは大変難しい。
仏教における力の1つが慈悲であり、慈悲は愛と似た意味を持つ言葉である。(慈悲とは愛が無窮の時間を経て醸成されたものである。)
地球をあまねく覆っているこの慈悲の力は現在の世界でも至るところで見ることができる。
その表出先の1つは宗教界であった。2世代前が生長の家。1世代前が白光真宏会。現在ではテーラーワーダ仏教などがその1つである。
私が読んでいる書物の中にはこの仏教系統について解説したものがある。私はそこから『家族への情は本来必要ではなかった。』という情報を得た。前世代における慈悲の顕現は宗教という形を取られていたが、彼らが世帯をもつということは本筋ではなくどちらかと言えば例外的で、宗教の道へ進む者が家族と一緒に暮らす(結婚をする)ということはメインルートではなかったのかもしれない。結婚して子供(養子)も居るという状況は、少し変わっていたのかもしれない。
その残された前世代の宿題が『家族への情』であり『既存の家族の形を昇華する』というものである。
少しアイコンを集めてみた。
おのみちで毎月開催されている人気のイベント おのみち家族の台所
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尾道ではかぞくに関連するイベントが度々開催されている。おそらく意図的に緑を配色している人は少ないのではないか。(無意識に緑を選んでいるということ)私は尾道の人々にある圧倒的なやさしさから、慈悲の奔流を感じている。
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ではもう少し本質に切り込む。緑色が採用された理由はなんだろうか。これはある意味ではこじつけと取られてもしょうがないのだけど、理由は「みどり」という人が居たという事実である。
つまり1世代前における最重要人物の名前が「みどり」であったということである。本名で書くこともできるが、ここでは省略する。(直接聞かれれば答えます)緑色であるということに特別重要な意味はなく、ただ【みどりが大切だったから緑が採用された。】というただそれだけの事である。
私は裏側の知識があるので「意図的に緑を自分の領域に配置した。」
普通は無意識に緑を選択している場合が多いのではないだろうか。
慈悲のあらわれるところには、緑への想いがあらわれている。
これが私の今生において獲得した知識の1つである。
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