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港町はなぜ写真家を惹きつけるのか

何年か前の夏の終わり頃、京都の伊根の舟屋に行ったときのこと。堤防から夕日の当たる舟屋を撮っていると、青年がサンダル履きで手に釣り竿という姿で近づいてきました。

何か言われるのかなと思っていると、すぐ近くで海に釣り糸を垂らし始め、5分ほどで魚を釣りあげて帰って行きました。晩ご飯なんでしょうか。その青年の後ろ姿がすごく印象に残っていて、なんというか港町に写真を撮りにきているじぶんが、取るに足らない存在に思えたものでした。

とはいえ港町は、どうしようもなく写真家を惹きつけるものがあります。

先日、広島の鞆の浦に行ってきました。鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、このあたりで潮の流れが変わることから、潮待ち風待ちの港として栄えました。坂本龍馬率いる海援隊が乗る蒸気船「いろは丸」が衝突事故を起こし、相手方の紀州藩との大喧嘩の火蓋が切られたのもここ鞆の浦。

大量に撮った写真を見返しながら余韻に浸ってます。

鞆港のシンボルといえば、何といってもこの常夜灯。常夜灯や雁木(手前の階段)など江戸期の港湾施設が揃うのはここだけとのこと。

さて、港町が美しいのはなんといっても朝日や夕日の時間帯で、入り江の穏やかな水面が反射面となって、まるで光の中に街が浮かんでいるように見える瞬間があります。それでいて連綿と停泊する船が陰影を作り出し、ゆらりゆらりと揺れるその光と影は、いつまでも眺めていても飽きません。

家屋から聞こえるわずかな生活音や、突然鳴り響く船のエンジン音。筋書きはなくてもなんとなく物語を感じるわけです。冒頭の青年の姿に感じたことにも通じるのですが、お客さんというか要するに部外者として、地続きでない別の世界を覗き見させてもらっているという感覚。

お洒落なお店や綺麗な駐車場が出来て、観光地としての輝きが増すのはもちろん素敵なことですけど、随所に見られる「寂び」もまた港町の情緒の大事な要素だと思います。もうどうやっても海上交通が主だった時代の賑わいは取り戻せないわけで、それでも悠然と潮風を受け続ける船や家屋の佇まいが郷愁を誘うのです。

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写真家の日記

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