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メタフィクションとしての人生と宇宙

指し示す月というのは、

月を指さす、指のことです。
その指し示す、指を、指し示す、
さらに指。その指自体を、指し示す、指。
指し示す指を、指し示す指は、どんどん、階層化していき、
増えていきます。
これは、こういうこと、
つまりね。
こういうことなんだ、
それって、つまりさ。
という風に、説明を説明して、それについて、
説明していくということができます。
終わりのない、説明の説明の連鎖。
意味するものと、意味されるもの。
フランス語では、シニファンとシニフェ、と言ったと思います。
劇自体を、演じている劇というものがありますが、
それは、漫画家が、漫画を描いている漫画家を描く、というものだったり、
風立ちぬ、というアニメがありますが、クリエイターを、クリエイターが描いている、という意味で、同じような、構造をもっていると思います。

これを、メタフィジカルな構造というと思います。
wikipediaの、ハイパーリンクも、そうで、
リンクのリンクのリンクのリンク‥‥と、どんどんと、進めてしまいます。
ただ、ハイパーリンク自体が面白いな、と思うのは、
たどっていった、リンクが、もとにもどっていたということがあるんです。
ループしているというか。円環構造になっていたりする。
円環構造といえば、仏教の、十牛図を思い出します。
街から、でて、荒野を歩き、思索する。
そうして、この世界に、ハッときづく。
この世界というか、認識主体について、量子力学的な、観測問題に到達する。指し示すと、指し示す対象がずれたり、変質したりする。
予言すると、予言対象の未来が変わる。
街から出て、そっか、そうなんだ、と思って、
街に還っていくんだけど、
河に流れている水は、元の水にあらず、で、
街を出た時とは、その人は、質的に違う人になっている。
円環構造なんだけど、円環構造の二週目は、
回転がちょっとずれてる。
2回転目は、質的に違う回転をしている。

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