初妊娠で稽留流産の話 前編


昨日の投稿のスキをありがとうございました。

これからは時系列で自分の妊娠出産育児について話していきたいと思います。

私自身、今まで自分が悩んだ時や不安に思った時に、同じ経験をされている方のブログを読んで共感したり参考になったので、そういうブログにしていけたらと思います。


今回は初妊娠で稽留流産をした話です。

少し重たくなってしまうので興味のある方だけお読みいただければ幸いです。



夫とは高校時代からの付き合いで、
8年の交際期間を経て結婚しました。


夫婦揃ってこども好きだったこともあり、
学生時代からこどもは3人くらいほしいなー
なんて話していたので、


初めての妊娠は2人とも大喜びでした。
妊娠5週目でつわりがはじまり、
妊娠発覚後すぐに両家の家族にも報告し、
お祝いの言葉もいただきました。


つわり自体はたべづわりと吐き気、
自分の感覚では一般的なつわりのイメージに
近いもので特に変わったことはなかったです。

妊娠8週目で心拍確認。
エコーで小さな心臓がピコピコ動いていて、
とても愛おしくてたまらなかったのを
今でも思い出します。

その産婦人科では心拍確認後に母子手帳が発行できたため、そのまま母子手帳も申請に行きました。

母子手帳を交付された時も、
ママになれたというお墨付きをいただけたようでとても嬉しかったです。


結婚自体、夫の異動がきっかけで入籍を決めたので当時は横浜に住んでおり、
駅近くのアパートで産婦人科は
アパートの隣でした。



夫は検診の時は仕事でしたので、
いつも1人で行って家に帰ると
エコーの写真を撮って夫に送っていました。


まだ胎動も感じませんでしたが、
お腹を撫でながら過ごす日々が幸せで
近くの川沿いを気分転換に散歩したりしていました。

GW、瀬戸内にある実家に帰省し
親友2人とごはんに行き報告しました。

横浜の家にいる時や移動の新幹線では
体調が悪かったのですが、
実家に帰省したり友人に会う時は
つわりが軽く楽しい時間を過ごしていました。

GWが過ぎて、1週間後。
検診予定が土曜日だったため、
夫とはじめて2人で行こうと話していたのですが、
つわりで初めて吐いてしまい、
本格的にしんどくなってくるかなと思ったので、週末はゆっくり過ごせたらとやっぱり金曜日に1人で行くことにしました。


2017年5月13日 金曜日

いつものように待合室で待って、
診察室に入りました。

診察台にあがり、どのくらいおっきくなったかなーと見ていると、

先生が少し長めのエコーをしながら静かに話しはじめました。

「赤ちゃん見えますか?、、、心臓が止まっています。」

一瞬何を言われたのかわかりませんでした。
目の前のエコーに確かに小さな赤ちゃんが写っているのに、この前の検診で見えたピコピコはしていませんでした。

「お話をしますので台から降りて診察室にもどってください。」

そこから先生は赤ちゃんの心臓が止まっていること。

稽留流産という流産だということ。

これは自然に起こりうることであって、ママのせいではないこと。

お腹の中でなくなってしまった赤ちゃんは手術で出さなければならないこと。

母体にリスクがあるので、できれば早い方がいいこと。

優しく、静かなトーンで一つずつ教えてくださり、私はただただ、はい。とだけ返事しました。

「まだ受け入れられないと思います。明日手術してもいいのですが、月曜日にもう一度エコーしてみますか?」

「お願いします」

本当は心臓が再び動き出すことはないけれど、
先生は私のもしかしたらと言う気持ちを優先してくださり、2日間の猶予をもらいました。

看護師さんは待合室ではなく、私を院内の奥にある小さな部屋に案内してくれて、箱のティッシュを用意し、会計までここで待っていていいですよといってくださいました。


1人になって、泣きました。

さっきまで生きていると信じていたあかちゃんがもうお腹の中で亡くなっていること。

本当は赤ちゃんの大きくなったエコー写真を持って待合室にいるはずなのに、手に持っているのは1週間前と変わらない大きさの心臓の止まった赤ちゃんの写真を持っていること。

何も考えられず、ただひたすら泣きました。

会計に呼ばれて、待合室にたくさんいるお腹の大きなママを見ながら、また泣きそうになるのを堪え、家に帰りました。

家に着くと涙が止まらず、
夫にだけ「赤ちゃんの心臓が止まっていた。」とだけLINEを送りました。

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