尾崎のバイクと椎名林檎のコンプレックス
夕方にスペースで話してた時に、何の話からその流れになったのか忘れたが、
「ネットやSNSが無い時代って、些細な負の感情を吐き出す場が無かったじゃないですか。アレ、どうしてたんでしょうね?」
みたいな話になった。
たしかに。
時として、負の感情、マイナスのエネルギーをネットやSNSにアウトプットすることはデトックス効果があると思う。
ネットが無かった頃ってアウトプット(発信して誰かに聞いてもらう)の手段って、できたとしても友達に聞いてもらうくらいしか無かったような。
でもそれは話を聞いて貰える友達がいる人に限られるし、
逆に友達だから言えないこともあるよね。
ラジオの人生相談?いや…通信機器は家の固定電話か公衆電話くらいしか無かった。
ラジオに取り上げられるのはほんの一部だっただろうし。
そういえば、1979年の日本映画「十九歳の地図」で主人公の青年が公衆電話から知らない人(電話帳に載ってる人)に迷惑電話をしまくる、というシーンがあった。
スペースの話の流れで「もし80年代にネットやSNSがあったら、尾崎豊はバイクを盗んでないんじゃないですかね?」みたいなことを俺が言った。
尾崎豊が実際にバイクを盗んだか?というより、些細な、細々とした負のエネルギーを、ネットが無い時代の人達はどう昇華してたのだろう?…みたいな話をしながら、
俺は薄っすらと椎名林檎のことを考えていた。
椎名林檎のデビューは1998年だと思うが、
椎名林檎もネットやSNSの無い思春期を過ごしている。
俺は椎名林檎については「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」までしか聴いてなくて、
3枚目のアルバムが「あんまり…」という印象で、
後の東京事変を含む椎名林檎は聴いたけど刺さらなかった。
なんか「クオリティの高い音楽を作り続けるミュージシャン」という印象だ。
椎名林檎は詳しい人がたくさんいるだろうし、論じられていると思うけど、
俺が椎名林檎の最初の2枚のアルバムから感じたのは
「訳のわからんコンプレックス」だった。
音楽的なものは置いといて、
「この椎名林檎という人は、自分に劣等感を持っている。何に対しての劣等感かは分からないが、劣等感を音楽で掻き消そうとしている。だからこっちの心も動く」
みたいなものを既に30歳を越えていた俺も感じて、繰り返し聴いていた。
その「原因不明の劣等感」が3枚目のアルバムで、スッと消えたんですよね。
「初期衝動」みたいなものもあったろう。
先述した尾崎豊は「初期衝動だけの人」で、17歳でデビューし19歳の頃に「曲が全く書けなくなった」というミュージシャンとしては致命的な悩みを当時仲の良かったダイアモンド☆ユカイに相談している。
まあ、とにかく椎名林檎の最初の2枚は大好きなんだけど、
先日、椎名林檎が「丸の内サディスティック、今聴くと恥ずかしい」みたいなことを言ったそうで。
いやいや…丸の内サディスティック、カッコイイ!と胸を打たれて、
当時30過ぎ男性の俺でさえ、なんか恥ずかしいことをしているぞ?
「将来僧になって」「RATひとつを商売道具に」
「そしてらベンジー、あたしをグレッチでぶって」
………………
ベンジー、泣いてるんじゃないのか?
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