言えない褒め言葉

自分が好きなものには傾向がある。
音楽とか、映画とか。
それは「ヘキ」と呼ばれるレベルのもので、また感覚的なもので、言葉で表すのは難しい。

しかし、50余年も生きていると、具体的な「好きなもの」に含まれる養分から自ずと分かってしまう。

音楽で言えば、ブルースを基調としてるものだとか、ペンタトニックスケール中心に構成されているものだとか、
そういう言葉で誤魔化せたりもするのだが、

もっと感覚的なことをハッキリ言語化してみると。

自分が好きになるものは、

・人間臭くて、
・ダサい。

この2つに集約される。

「ダサい」は「人間臭い」に含まれるのだが、

ダサさにも好きなダサさと興味を持てないダサさがあって、
そこの区別は言葉で表現し難い。

この、良いダサさ、「ダサ味(み)」とでも言おうか、

そのダサ味が含まれるもの、含まれないものは自分の中で割とハッキリしてるのだが、

なかなか言えない。

「〇〇はダサ味があるからイイんだよ!…いや…これは褒め言葉であって、貶しているわけでは決してなく…」

本当に好きだし、褒めているのだが、言葉にするのは危うい。


この、言えない褒め言葉を含むため、自分が好きなアーティストの名前なども言いにくくなるので、ここでは自分が過去に刺さった、好きなアーティスト名は書かない。

(具体例を1つ挙げると、映画監督のジョン・ウーです)


逆に、
俺は何故、この人の音楽が刺さらなかったのだろう?
…と思うアーティストが1人いる。

この人です。

人間臭さ、ダサさ、そして俺が10代を過ごした時代。

すべてが当てはまるのに、何故か刺さらなかった。

いやしかし、なんてダサいんだ。
アルバムジャケットを1枚アップロードしてみたが、
そのポーズは何。その砂は何。
計算してできるダサさじゃないぞ、とこの人の作品に触れる度に思う。(そのダサさが愛おしくもある)

この人が何故、俺に刺さらなかったのか、さっき考えてて、
割と簡単に分かった。

サングラスである。

この人の、サングラスをしてない顔は、世に出回っていない。

しかも、かなり濃いサングラスをしている。


テレビでスポーツをたまに見ることがある。
野球やサッカー、バレーボール、卓球、陸上、ボクシングや格闘技、
その時に話題になってる試合や大会がテレビ中継してれば、見ることがある。
専門的なことは分からないが、見てるとおもしろいと思うし、感動することもある。

しかし、どうしても興味が湧かない競技がある。
3つ例を挙げると、
フェンシングと、剣道と、アメフトである。
これらの競技の共通点は「選手の顔が見えないこと」だ。

選手の顔が、もっと言えば試合中の表情が見えないスポーツは、見てておもしろいと思えないのだ、俺は。
スポーツに「ドラマ」を求めているからである。


サングラスの話に戻る。

このアーティストは楽曲のメッセージ性がとても高い。
曲もブルース臭く、人間臭く、
歌詞がやたらダサ良い。

しかし、「どんな表情で歌っているか」が、一切分からないのだ。

シャウトする時は「シャウトしてる目」を見せてほしい。

…そんなことを10代の俺はこの人のサングラスから感じ取り、
なんかハマれなかった。

50歳を過ぎてからサブスクでこの人の曲を聴く機会が増えた。

良いな〜、と思う。

タイミングというのはとても重要で、
10代の頃にハマれなかったけど、

一周回って、良いよね、この人の曲。


・約24時間後に追記
自分が思う「良いダサさ」とは、「ベタなことをやり切る」だと思います。

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