死ぬかと思った

漏らした話ではないです。

1985年、高校に入学してすぐ、迷わずサッカー部に入った。

スポーツは得意ではなかったが、小学生の頃は剣道を習っていたし、中学校の時は野球部だった。

中学校は荒れていたので部活はどこもグタグタだった。練習試合も含めて1本もヒットを打ったことがないのに何故か四番打者だった。

ファミコン世代なのにファミコンに魅力を何も感じなかったため、遊びといえば公園で野球をすることだった。その延長で野球部に入った。
中学校時代は昼休みにサッカーをやることが楽しみであり、その延長でサッカー部に入った。 


ちゃんとした高校の部活をナメていた。
高校サッカー部の練習は、地獄のようにキツかった。

「水を飲むな」の時代。やれと言われれば思考ゼロでやる時代。

一番キツかったのは1年生の頃の夏の合宿で、
たぶん一生で一番体力を使った。


本当に、死ぬかと思った。
合宿最終日、練習の最後にグランドの端から端までの距離、300mくらいを何本もダッシュした。
何本だったか、20本だったか50本だったか、覚えていない。

マジで死ぬ、と思った。いや、「思う」ことをする余裕も無かった。


そして地獄の合宿が終わり、グランドの隅に座って
「人間って、こんなキツい目にあっても、死なないんだな」と思った。

温暖化が始まる前の時代の、夏の夕暮れの太陽がやたら熱かったことを覚えている。
その夕陽も視覚として覚えている。

俺はそのサッカー部では技術的にも体力的にも常にビリで、
そのキツい夏の合宿が終わった後に自主練をやってる同級生を見ながら、コイツらの体力はどうなってるんだと不思議だった。
そんなに荒れてない中学校の部活はちゃんとしてるんだなとも思った。


そのサッカー部の合宿最終日が「肉体的に死ぬかと思った」ピークで、人生で一番キツい体験をした。


(いつか来る、「死ぬ前」のことは分からないが)
それ以降、あの夏の合宿を超える肉体的なキツい目には遭っていない。

いや、そこそこキツい目には遭っている。
でも16歳のあの夏の合宿に比べたら、そうでもないのだ。

直近で言うと大腸ガンの手術後である。
ハラを切られている。
ハラを切る、という映画やドラマの殺人の場面でやるようなことしたのに、
麻酔をしてくれんのだ。
「麻酔をすると人間の自然治癒力が失われちゃいますからね〜。痛み止めを点滴してるので!では!」と看護師は去ってゆく。
手術後1日目、動けない上にナースコールボタンがどこにあるか分からない、という状態になり、生まれて初めてマジの「助けてください〜」を言った。

でもそんな肉体的なキツさを感じながらもどこかで、

「あの16歳の夏の合宿よりはマシ」
と思っていた。

54歳の今まで「体力的・肉体的にキツすぎる」目には他にも遭っているが、
すべて「あの16歳の夏の合宿よりはマシ」だった。


ストイックに自分を追い込む!
…みたいな言葉がある。

正直、自分で自分を追い込むのには限界があると思う。

だって自分である程度は計画してるし、自分で考えたことをやるのだろうし。


「こっちの発想」を越えてくるんですよ、「鬼」は。

水飲まずに、実際にゲロ吐いたりしてるのに「根性が足らん!まだやれる!次はうさぎ跳びだ!」とか言わないでしょ。自分の中の鬼は。

「鬼」は軽々と言う。おそらく他にも「鬼のレパートリー」がある。ローリングストーンズの曲数くらい持ってる。


根性論やスパルタを肯定する気持ちなど全く無いが、

感謝をしてるところがあるんですよ。
あの夏の鬼に。

もう、名前も顔も忘れてしまったけど、あのサッカー部の監督(顧問)と外部から来てたコーチの2人に。


「体力的・肉体的なキツさ」について書いてきたけど、
「精神的なキツさ」は全く別の話です。

肉体的なキツさ、痛みは人間は忘れてしまうのだけど、精神的な痛みを忘れることはとても困難なので。


サッカー部は2年生の4月にやめました。
新入生が入ってきた状態での練習試合で「これは、俺は3年生になっても試合には出れないな」と判断したので。

退部届には「体力の限界です」と書いた。
「体力の限界」って大げさだけど使ってみたかったし、なんかカッコイイと思ったので。

でも、その5年後の1991年、

千代の富士が「体力の限界」と言って引退した。

「体力の限界」、俺の方が先に言ってるからね!

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