てんかん①

備忘録として書いていきたい「てんかん」という病気。

発症したのは2010年の初め頃です。次男を産んでちょうど1ヶ月経った頃でした。

後々自分で色んな情報を調べるうちに、周産期の発症は決して珍しい事例ではないことを知ります。

そして、薬で治まるいわゆる「寛解」の状態になれるのは7割という情報→私はてんかんについての書籍で知りました。
てんかん歴10年以上、私は残りの3割に入っております。

初めは自分は7割側の人間だと思っていました。
そして発作とは何かも(どういう状態が発作なのか)知りませんでした。

その頃2ヶ月に1度通っていた脳神経内科の医師は「発作は出てますか?」と診察時に訊ねますが、何が発作なのか解らない私は(乳幼児が2人居て慢性的に寝不足で判断力は自分に対して皆無な状況です)通院すら面倒で「出ていません」と答えていました。

私も夫も、てんかん発作とはぶっ倒れて全身ガクガク痙攣するものだと思い込んでいたので発作は出ていないという認識でした。
2010年の発症を発見したのは夫で、その時睡眠中の私は痙攣していたからです。

発症から3年後ぶっ倒れて全身ガクガク痙攣する発作が起こり、薬を飲み始めます。テグレトールでした。薬の遍歴はまた別の記事で書きたいと思います。

薬を飲み始めたんだから治るだろうと信じて疑わず、私の病気は「そんなにひどくない」と自分で思っていました。
でも、後に「そんなにひどくない」という言葉は医者から言われたくない言葉ランキング上位であることに気付きます。

私の発作は地味な部類の発作です。複雑部分発作というものです。発作中意識が失くなります。
人によって複雑部分発作の出方は違い、私は意識が飛んでから戻ってくるまでが早いため、近しい人からしか発作と認識されません。
意識が戻ってもぼんやりはしてるのですが、他人からは変わった様子は見受けられないようです。

私は左側頭葉のてんかんで、手術で完治の可能性が高いてんかんと診断されていたので楽観視していたのですが、薬を飲み始めても地味な発作は治まりませんでした。

また、その頃大都会に住んでいて、医療費の助成の仕組みを知らず、かなりの大金を払っていました。田舎に移り住むと病院で色々と教えてくれました。今のコロナ禍でつくづく移住して正解だったと思っています。
だから高い薬を飲むのが嫌で仕方なかったですし、自分の時間なんて無いに等しい中での(乳幼児の病院に行く回数の多さは半端ないですし、病院じゃなくても手が掛かる時期です)通院が大嫌いでした。

ちなみに今現在の私の発作は地味な発作に加え、地味なりに重積発作(発作がなかなか止まらない状態)に発展するものになりました。
数年前に脳の手術は困難だと診断もされています。

大雑把な事しか書いてませんが、こんな感じで不定期に書いていこうと思ってます。


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