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[音色] 「暗い音」や「こもった音」は不要か

輝かしい音色


よく、「輝かしい音色で吹けるようになりたい」とか「もっと魅力のある音色で吹きたい」というような話をきくことがあります。
もちろんそれらの「自分の音色を磨く努力」はとても良いことだと思います。
そのために必要な訓練を中心にしてレッスンが進むこともよくあることですね。

反対に「暗い音」「こもった音」「くすんだ音色」「焦点のぼけたような音」というのはダメな音色でしょうか。
1曲を通して、どこをとっても「輝かしい音色」だけで構成されていたとしたら、どうでしょう。

くすんだ音に対して、輝かしい音は良いことだとされているので、いつまでもずっと輝かしい音色ではだめなのでしょうか。

わたしは、これを両方とも必要なものだと思っています。
たぶんですけど、1曲丸ごとを輝かしい音色で吹くことができたならそれはとても居心地の悪い、落ち着かない音楽になると思います。

いちばん言いたいこと


その曲の中でいちばん言いたいこと、もっとも大切なところで輝かしい音色を持ってくる。
そしてその前には必ず、くすんだようなこもったようなところをわざと作るようにしています。
曲によるのでそのまますべてに当てはまるわけではありませんけどね(一番言いたいところをわざとくすませる歌い方もあると思います。)

音色は変化する

ことサックスで音楽を作る場合、歌詞の無いインストルメンタルであることがよくありますね。
なんでもいいので、ご自身の好きな「歌」を思い浮かべてください。
人間の声色は無段階にどんどん変えることができます。
それがどんなに微妙な変わり方であっても、聴き手には潜在的に感じさせることができます。
もちろん、同じ旋律の個所であっても歌詞の語感、使用されている子音の種類、その他たくさんの要素によって変わってきますね。
サックスの音も同じなのです。
「誰それの固有の音色」みたいなものはもちろんありますが、すばらしい奏者は誰をとっても、
一曲の中で、あるいはそのなかの1節のなかで、あるいは1フレーズのなかでも音色を変えています。

立体的な構成

あまり詳しくはありませんが「生け花」というのがありますね。
子供に好きな花を摘んできて花束を作りましょう、あるいは好きな花を集めた花束の絵を書きましょうというと、だいたいは赤青黄色の「輝かしい」色の花ばかりを集めて来るでしょう。
松ぼっくりや、緑色の葉っぱが画面の多くを占めるようなものを作る子供はあまり見かけません。

でもその地味な茶色と、濃い緑で構成された画面のどこかに、純白の鮮やかな菊が一輪添えてあるのを想像してください。
どんな曲にも当てはまることではありませんが、そういうことがあなたの輝かしい音色をより一層引き立て、華々しく見せかけるのです。

時間の藝術


音楽は映画などと同じく、時間を使用した藝術です。
時間の移り変わりとともに、違った場面を提供して聴き手に想像させることができる藝術です。

いくらいい音色でも、そればっかりではうるさく感じてしまいますね。


京都在住のサックス/フルートプレイヤーです。 思ったことを自分勝手に書いていきます。 基本、内容はえらそうです。