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[混沌] 生半可なフリージャズが嫌い

あんまり好きだの嫌いだのと言うことは無いのですが、しいて言えば生半可なフリージャズが嫌いです。

フリージャズというのは1965年くらいから始まったムーブメントで、より自由な発想のもと、インプロビゼーション(即興演奏)を究極な形まで突き詰めたもので、その姿はもはや「ジャズ」というカテゴリに収まるのかさえも定かでない様相のものです。

わたしの周りには若いころからやたらと「ヘンなやつ」が集まりまして、よくこのフリージャズもどきをやっていたのですが、いまではほとんどやることはありません。

日本においては高柳昌行(Wikipedia:高柳昌行)というギタリストが持ち込まれ、その壮絶なる人生を賭けて追及されました。
こういうことを書くとまるで虎の威を借る狐のようで好きではないのですが、わが師匠である森剣二はこの高柳昌行さんのグループに在籍していましたので、わたしも遠縁ながら「高柳一門」と呼べなくもないのです。(そのあたりのことは書くと長いので割愛します。)

あまりにも師匠の森が高柳さんの偉大さをわたしに熱心に説明してくれるので、いつしか気軽にフリージャズをやろうという気持ちがなくなりました。

そのためか、やはり巷で「フリージャズ」をやっているという話を聴くと興味はあるものの、実際に聴くため足を運ぶとその稚拙さに「またか」と落胆することが多くなったのです。

なんの時だったかは覚えていませんが森がわたしに「ああいうのは『むちゃくちゃ』って言うんだよ。」と教えてくれたその言葉と、その言葉に埋められた陰鬱なイントネーションは忘れることができません。

わたしは高柳昌行の壮絶なる生涯を少しでも聞きかじった者として非常なる尊敬のもとに、「生半可なフリージャズ」に触れることは、このさき無いでしょう。


京都在住のサックス/フルートプレイヤーです。 思ったことを自分勝手に書いていきます。 基本、内容はえらそうです。