漢字の観点から見た未来日本語

 日本語は古くから漢字を表記体系に取り入れているが、太平洋戦争の戦前と戦後とを比較すると、字体や字形の在り方にかなり変化がある。
※「字形」は(手書き・印刷を問わない)個々の漢字の見た目、形状のことであり、「字体」はある漢字がその文字として認識される字形のバリエーションの範囲を枠組みとして捉えたときに、その枠組み内にある様々な字形に一貫して表れている共通項を抽出したものである。なお、「字種」は同じ音訓・意味を持ち、語や文章を書き表す際に互換性があるものとして用いられてきた漢字のまとまりのことである。例えば、書かれた漢字の数だけ字形があるのに対して、「亜」と「亞」のように字形だけではなく字体として区別するべきものもある。しかし、「亜」と「亞」はどちらも「亜」に代表される、同一の字種である。
 戦前の手書き文書を見ると、同一字種の漢字に於いても、かなりバリエーションに富んだ字体のゆれが観察される。例として、こんにち専ら「会」と表記される字種は、これの他に「會」や「㑹」、そしてこれらのどれでもない字体で表記されるということがあった。これが、戦後では一部の人名などを除き専ら「会」と表記されている。これは戦後すぐに制定された『当用漢字表』やその後継である『常用漢字表』が一字種一字体の原則に基づいているというのが大きいと思われるが、漢字を手書きする機会が急激に減少したことが手書きに於ける漢字の字体の伝承を阻み、この潮流の一翼を担った可能性はある。
 そして、字形に関しても、戦後は戦前に比べて規範意識が強まっているのが明らかである。例えば、現時点での元号である「令和」が発表されたときに、「令」の書き方について話題になったことがあった。どういった議論であったかについては詳しくは書かないが、議論になったうちの一つの書き方は康煕字典に基づく印刷字形であり、もう一つの書き方は伝統的な手書き字形として、共に長く共存していた。しかし、印刷字形にしか触れたことがない人々があまりにも増えてしまったために、伝統的な手書き字形は違和感があるものとして議論の対象になったのである(なお、どちらで書いても差し支えがない旨が『常用漢字表』に明記されている)。なお、少し古いが『平成26年度「国語に関する世論調査」』の問17(7)を見ると、若者はどちらも適切だと理解しているように見えるが、これは2つの字形を違うものとして区別しているからであって、より高齢な人たちについてはそもそもこれらの字形を区別する観念がなかったことから、自分の普段の書き方を選択した可能性があることが指摘されている。(日本漢字学会報第5号、山口翔平2023「手書きの漢字の形に対する意識の変化―戦後から現在にかけて―」を参照せよ)

『平成26年度「国語に関する世論調査」』問17(7)「令」の図

 このような例は他にも「改」の三画目をはねるかとめるか、「耳」の五画目をとめるかはらうか、「女」の二画目はつきでるかつきでないかなど多くあるが、戦前にこの程度の区別が問題になっていたという情報を私は持っていない。
 なお、字種に関しても、戦後は難しい漢字、具体的には表外漢字(『常用漢字表』に載っていない漢字)の使用頻度は、表外漢字の表内漢字による書き換えやかながきなどの影響から明らかに減少している。
 このように、戦後急速に字体や字形のバリエーションを失い、規範意識を強め、使用される字種も減少している日本語に於ける漢字であるが、日本語を手書きする機会が恢復することは考えにくく、寧ろさらに減少することによって、さらには漢字そのものの使用頻度も減少することによって、この傾向に拍車がかかることを予想する。
 具体的には、まず異体字などを目にする機会は少なくなるだろう。現時点では看板などで異体字を目にすることはあるが、読めないので減少するだろう。人名には旧字体や人名用漢字を使用することができるが、読めないので名付けには使われなくなるだろう。
 そして、さんずい(氵)の三画目を最初にかぎをつけてからカクっとはらうのが主流になるなど、明朝体活字を見たまま書くようになることが予想できる。さんずいは明朝体では三画目にかぎがついているが、これは印刷字形であり手書きでこう書かれることはなかった。しかし、私の個人的な経験ではこれを明朝体活字と同様にかぎをつけて手書きする人に複数回出会ったことがある。今後はこれが主流になっていくだろう。
 さらに、教科書に印刷された漢字と少しでも異なる字形の手書きの漢字は、問題視されるようになるだろう。とめやはね、はらいなどの瑣末な筆法や、線がくっついているかやどちらが長いか、筆画がつきでているかなどの瑣末な字形の違いすらも誤りとして排除されるようになるだろう。
 漢字は中国で発明された古より、人々の柔軟な発想によって様々な手が加えられてきた。使い手によって書き方も様々であり、寧ろ何度も同じ漢字が出てくるときは字形・字体を変えて書くことが良いとされていた時期もあった。漢字は単なる言語表記の道具ではなく、人々の憧れる知性そのものであり、芸術を表現する場所でもあった。日本人は国訓をつけ、国字を作り、豊かな漢字文化の中でも特徴的な創造性を発揮した。それがもし本当に漢字が教科書通りにしか書かれなくなってしまったならば、その単なる日本語表記用の道具としての亡骸に私は一抹の寂しさを感じずにはいられないだろう。

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