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大学サッカーで目指すこと - 佐野翔梧

はじめに

東京農工大学サッカー部に関わる全て方々、日頃からわたしたちを支えてくださり本当にありがとうございます。

農学部 地域生態システム学科2年の佐野翔梧です。

今回は2年生の渡辺が有り余る才能で超大作を作成しており期間が足りないためピンチヒッターとして自分がnoteを担当させていただきます。今、自分が考えていることをそのまま書き記すので所々関西弁が混じり読みにくいかもしれませんがどうぞ最後まで読んでいただけると幸いです。

2年生について

まず、僕自身のことを話す前に今回の投稿から担当が2年生に移ったので2年生のことを少しだけ紹介させてください。
現在、サッカー部に所属する2年生はプレイヤーは青山 海、石井 悠貴、久保 直輝、田口 幹人、田中 康仁、西澤 勇紀、益田 靖大、渡辺 駿太、僕の9人とマネージャー大埜 日佳梨の合計10人です。
正直、3年生ほどめっちゃ仲良いって感じではないと思います。ただ、1人ひとりが自分の軸を持っていて思っていることをはっきり言うことができるそんな良い関係・環境やとは思っています。僕自身は2年生のこの環境が大好きで大切にしていたいと願いながら日々の活動を送っています。僕自身がサッカーが上手くないので余計にそう感じるんかもしれないです。実際、僕の活躍の場はプレーよりは事務などのみんなのサポートです。なんでそうなったのかを次から書く自分のサッカー人生を振り返りながら話していこうと思います。

2年生の全体写真載せようと思ったんやけど、なんやかんや撮ってないことに気づいたんで、学祭の時にでも2年みんなで写真撮ろか…

小学生

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僕がサッカーを始めたのは小学4年生でした。3年生の時、小学校の朝会でサッカークラブが表彰されていて、そこで自分もサッカーやりたいなぁと思って4年生から土日に小学校のグランドで活動してるサッカークラブに入団しました。当時、サムライブルーがワールドカップで決勝トーナメントに進んだり、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したりで世間的にサッカーブームがあったのに自分らの学年では圧倒的に野球が人気スポーツでした。
入団当初は同じ学年はたった4人。サッカークラブは上手さではなく学年でチームを区切っていたので、試合をするには必然的に他学年とチームを組んで試合をしていました。小学生年代における1年の年の差はとても大きく、また、初心者であった自分は上の学年とプレーすると年上からめっちゃ怒鳴られました。サッカーするのが怖かったのは後にも先にもこん時だけです。それでもサッカーを続けてある種の図太さは今にも通じるところがあると思います。
なぜ、サッカーが怖いのに続けたのか?それはめっちゃシンプルなことで出来んことができるようになるその快感の虜になってたからです。また、飴と鞭というか、年上はめっちゃ怒鳴ってくるけど別に理不尽に怒鳴ってくる訳ではなく、良いプレーはちゃんと褒めてくれてたので平日も年上の人と公園のグランドで練習したり向上心を持ってサッカーに向き合えていました。
最終学年になったときには自分とめっちゃ仲良い友達という2人しかおりませんでした。その頃には、並にサッカーができるようになっていて、声変わりする前の甲高い声で現在ぐらいの大きな声を出しながらセンターバックとして守備を頑張っていました。この頃から声を出すとこは変わってないみたいです。

中学生

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公立の中学校に進学した自分はクラブチームに所属しました。他の部員みたいにプロを目指してって訳ではなく、単純に中学校にサッカー部がなかったからセレクションも行っていない所謂町クラブに所属しました。
中学生時代のチームは「自主自律」と「創意工夫」を目標に掲げていてプレーだけでなく、人格形成をとても左右する大事な時期に人としてどうあるべきかを学ぶことができました。全体を俯瞰する力や規則の穴をつくいやらしさとその怖さはここで学びました。
実際、監督やコーチは1大人として選手と関わってくれてました。しかし、中学生は精神的にはまだまだガキやった部分もありました。チームの規則で買い食いが禁止されていましたが、3年間でチームメイトが何回もバレてグランドの周りをわからんぐらい走りました。なったことはしゃーないのにいちいち文句言ったりしてしんどい時期もありました。そういう環境やったんで中学でも勉強やモチベーションがないとかでまぁまぁ途中でやめる選手もおりました。学年で1人しかおらんかったキーパーも段々と練習に来んくなり、最終的にやめました。
そのキーパーは1年の秋ぐらいから練習あまり来んくなりました。それでも、公式戦や練習試合は普通にあるんで残っているフィールドプレーヤーでの持ち回りで行っていました。その頃はまだフィールドプレーやった自分も例に漏れずにキーパーをやる機会がありました。しかも、公式戦で!自分はこの日を鮮明に覚えています。当時はキーパーはほとんどやったことなんかないんで、フィールドの感覚で裏へのボールに対して全部飛び出したりしてました。たまたま、その日が当たってたのもあってめっちゃ攻められてるのに好セーブもあり、2失点ぐらいで済みました。(その試合は後半に味方のディフェンスが相手のフォワードと交錯した際に相手の選手が脳震盪を起こし、救急車を呼びことになり没収試合になりました。そういう意味でも忘れられん試合となってます)コーチの目にもよく止まったんか、その日のうちにキーパーへのコンバートを打診されました。自分でも感じたことがない感覚やったんで即答やりますって言いました。
そんな感じで自分のキーパーという第2のサッカー人生が始まりました。キーパーの経験はなかったので、人一倍経験を得る機会を望んでました。2個上のキーパーの先輩は推薦で県内の有名校に進学が決定しており、卒業までクラブに所属してたんでめっちゃ教えてもらいました。2年生の時には3年生のキーパーが1人なのでサブ要因として一個上の学年に帯同しました。やっぱりフィジカル的にも差があるので思うようにプレーはできんかった記憶しかないんですけどめっちゃ充実してました。
3年生が引退し2年生の秋の新人戦では、決勝トーナメントに進むことができました。そこでの相手がヴィッセル神戸伊丹U-15でした。0-8ぐらいでボコボコにやられました。ただ、優勝争いをしているチームと公式戦で戦える機会なんてそうそうなく、めっちゃ刺激になりよりサッカーにのめり込んでいきました。
そんななかで自分ちょっとした変化が訪れました。それは、中学校での生徒会長の就任です。2年生の3学期から就任しましたが、授業外にやる仕事とかも多くて、高校受験への勉強を本格的に始める時期でサッカーに割ける時間がだいぶ減りました。特に、3年の夏休みは日中はサッカーを優先し、サッカーがない時間は体育会の練習や生徒会での外部発表の資料作成に追われていました。3年生なので周りは総体で引退をしており、当然自分も高校受験の勉強をしなあかんくて、夕方からは勉強をしてました。中学生にしてはそれなりにハードな生活を送っていたと思います。
9月頭に迎えた最後の大会はダブルヘッダーが組まれていました。そのために、スタメンは体力面を考慮して選ばれました。「勝てるやろぉ」って慢心がありました。それを見抜かれていたのかよくわからんままに負けました。正直、3年間やってきた終わり方としてはなんとも言えん不完全燃焼で終わりました。

高校生

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不完全燃焼で中学サッカーを引退し、生徒会の仕事を12月が終えた自分は12月に志望校を決めてました。なんとか、公立の志望校に合格することができました。
中学での不完全燃焼もあり、高校でサッカー部にすることを決めました。サッカー部に入部当初、キーパーは3年に1人、2年生に2人、1年生の自分の合計4人おりました。当然、こんな人数がおるんで総体ではベンチ外でした。総体後、選手権まで部活を続ける先輩は4人いましたがその中にキーパーの先輩もいました。さらに、途中で2年生のキーパーが加入してきました。合計5人です。公立の高校でこんなにキーパーがおるところも珍しかったと思います。なので、1個上が引退した2年の5月ぐらいまで公式戦に出場することはおろか、ずっとメンバー外でした。ただ、部活ではマネージャーの入部が認められていなかったので自分が記録員として公式戦ではベンチに入り、試合には深く関わっていました。顧問もいうたら形だけで、メンバーを決めたりはしてたけど技術的な指導はほとんどなかったです。自分達でテーマや意識を持ってやらんとただ無意味な時間を過ごすことになりました。とりわけキーパーは人数が多かったので、1プレー1プレーにこだわってました。
自分達の代が中心になる2年生の総体後は、3年生は4人残りました。キーパーは自分と後輩の1年1人だけで少なくともベンチには入れる状況でした。しかし、直前に右足首の靭帯を損傷しました。そのため、選手権の予選にも出場することができずに3年生が引退していきました。
自分達の代は、もともとそんなに人数が多くなく13人でした。しかし、転校や顧問との反りが合わずにやめる人が多かったです。3年の総体を迎える頃には8人になってました。リーグ戦では思うように勝ちきれず、部内の雰囲気もそんなによくありませんでした。総体では、3年の意地というか底力でなんとか4回戦まで進むことができましたが、最後は完敗でした。自分達としては大健闘した方で、他の同期も満足したのか選手権まで残る人は自分以外誰もおりませんでした。3年生の5月からキャプテンに就任しました。サッカーがうまいからとかじゃなくて、3年が1人しかおらんからって理由です。サッカーがばちばちにうまいわけでもないし、選手権で引退するのは自分だけで当然懸ける想いに温度差があり、サッカーをするのが苦しかったです。だからこそ、前キャプテンの花田さんや現キャプテンの三好さんを見てるとすごく羨ましく思います。選手としてもポジション上「点をとる」ことはできなくて、「守る」が中心なんで引っ張るってよりは下から支える形になり、思うようにチームに貢献できていないように錯覚してしまい自分自身にイライラする日々が続きました。それでも、サッカーを続けたのは選手権への憧れと当時にしかできないことなんやという認識があったからやと思います。
憧れて望んだ選手権の予選は、毎試合延長戦に突入しながらなんとか勝ち切り本戦出場を決めました。本戦1回戦では、ボコボコにやられました。いっそのこと清々しい気持ちでした。中学生の時と違って完全燃焼で高校サッカーを終えることができました。

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浪人生

高校サッカーを見事完全燃焼で終えた自分は無事に?燃え尽き症候群に陥りました。燃え尽き症候群から立ち直りかけた12月頭に利き手である右手の薬指を剥離骨折し、手術しました。その影響で最後のセンター試験を逆手の左手で受け、前後期で農工大学を受け落ちました。
生活は完全に勉強中心やったけど、運動とリフレッシュを兼ねてよくボールを蹴りにいきました。なんでかしらんけど左足でのキックの練習をしてました。今、めっちゃちょっとだけ左足で蹴るのはこんときの影響です。また、当時勉強のモチベーションしてサッカー部のサイトをちょくちょく見てました。この頃から、明確に大学サッカーに意識は向いていました。
上村さんは以前のnoteで浪人は絶対にしないほうが良いと言っていました。自分は、浪人をして良かったとは思っています。結果的に志望校に受かってるので。あの1年で人間的にもひと回り成長できたと思います。ただ、もう1回やるかと言われたら何億積まれても絶対にやりたくないです。

大学生

無事に大学に合格し、地元を離れて1人暮らしを始めました。授業初日、家に帰ってもやることがなく水曜日だったのでグランドを見にいきました。その日に大学サッカーをやることを心に決めました。
次の練習日に同期のキーパーのヤスに会いました。ヤスは自分のサッカー人生で初めての同じポジションの同期でした。めっちゃ上手いし、周りも見れてて、言いたいこともはっきり言えてめっちゃ尊敬してます。他にも、幹人や駿太、海とかサッカーが上手い人が多いです。プレーしてても楽しいし、後ろからみんなのプレーを見てるとワクワクします。先輩もうまくて、優しくてめっちゃ良い環境でサッカー出来てます。キーパーは当初4人もおって、昨年度のリーグ戦は1回もメンバーすることができませんでした。今はヤスと2人になったけど、一緒に高め合ってます。みんな、プレーに関しては自分達の意見を持ってやれているんでそんなに心配はしてないです。
1番心配しているのはチーム運営です。今、部活には常に技術的指導者や事務関連を担ってくれる大人がいないのが現状です。この状態がいいのか、それとも悪いんかはあんまり関係ないです。チームとして活動する以上絶対に事務仕事がついて回ります。今は、3年の川勝さんがほとんどを1人でやってくれてるので部内でもそんなに表面化している問題ではないです。ただ、数ヶ月経つと「誰か」がその仕事を担う必要があります。ここまで、運営を気にするのは、中学の生徒会長、高校のキャプテン、大学での学園祭実行委員長の経験からやと思います。今は、自分が気持ちよくプレーする以上にチームがより良い状態・環境でプレーしてほしいという気持ちが強いです。

大学サッカーでの目標

自分の大学サッカーでの目標はいくつかあります。ちょっと書いていこうと思います


・いつでも最高の状態でプレーすること
今、自分の現状を考えたときに試合には途中出場することの方が多いです。キーパーの途中出場は試合に入るのがむずかしいと言われてて、自分はその面でチームに迷惑をかけないようにしたいです。また、コロナが流行っている世の中で急に出ることがあるかもしれないので、いつでもどんな時でも最高のコンディションとメンタルでプレーできるようにしたいです。

・事務での仕事をミスしない
今の4年生の代のマネージャーが運営ミスをしたことがあると聞いたことがあります。公式戦に関わる仕事やと、ペナルティがあり最悪勝ち点が剥奪されます。昇格を狙うチームとしてはめっちゃ痛手です。ミスが起こるってことは管理体制や情報伝達がしっかり出来てないってことやからそういうのは無くしていきます。

・同期全員で引退する
これに関しては自分の勝手なわがままです。この先、選手生命を絶たれるような怪我をして、やめる人とかが出るかもしれません。そういうコントロールできんことじゃなくて、サッカーが楽しくないからやめるとかっていうのはなくしたいです。自分の周りは工学部ばっかりでオフの時期とかはほとんど会うことがありません。サッカーをやってるからこその縁であり、つながりであるので大切していきたいと思っています。

最後に

ここまで6000字に及ぶ文章を読んでいただきありがとうございます。自分達が活動できるように普段から支えてくださっているマネージャーや顧問の先生、そしてOB・OGさんありがとうございます。

次回はサッカー部のしっかり?天然?キャラの田口 幹人です!お楽しみにお待ちください!

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