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芸工大校友会立ち上げのはなし

11月に入り、年末がもうそこまで来ていることにちょっと戸惑っている事務局カンノです。

今日は初代校友会役員のお1人であり、三代目会長も経験され、現在は校友会顧問として校友会運営にご協力いただいている若林崇(わかばやし・たかし)さんより、校友会立ち上げ時のお話と今のお気持ちを寄せていただきましたので、ご紹介します。

開学から10年目、校友会立ち上げ

芸工大は1992年に開学した、まだまだ歴史の浅い大学です。
開学から10年目を迎えた頃、卒業生の増加に伴い、同窓会組織があった方が良い、という話が先生方から挙がり、立ち上げが決まりました。

立ち上げ時は大学が指揮をとり、準備委員会として大学教授数名と20~30名程度の卒業生が集まり、意見を出し合って立ち上げ準備をしていきました。

卒業生、大学、先生方、それぞれ立場も違えば考え方も違う。違いが多ければそこに傾ける熱量も変わってきます。
三者三様の考えをまとめていくことは、なかなかに大変な作業で、一番大変な時期だったように思います。

そんな大変な準備期間を経て、初代安孫子会長が誕生しました。(初代会長は当時から大学事務局職員として勤務していた一期生。現在も事務局職員としてご活躍です。)

立ち上げたはいいものの…波乱含みの幕開け

当時の校友会役員は40名以上が名を連ねていましたが、実際に校友会運営に関わることができたのは20名以下というのが現状でした。
当時、校友会で役員をしていた卒業生は、大学を卒業して数年でまだまだ社会人経験も浅く、プライベートな時間を利用して校友会活動に協力すること、その両立が難しかったのだと思います。
そのため、卒業生だけで運営をしていくことが難しく、大学からのバックアップが必要でした。
卒業生の団体でありながら、大学のフォローを受けている体制に矛盾を感じた卒業生からの風当たりを強く感じたこともありました。
そのようなこともあり、大学から校友会が卒業生団体として独立した運営ができるよう求められ、当時、大学職員として山形ではなく東京サテライトキャンパスに勤務していた若林宏さんが二代目会長に選ばれました。
何事も一足飛びには解決できません。まずは一歩、大学から離れた場所の卒業生が会長でも校友会運営が成り立つのか?という実験的な意味合いもありました。

拠点は東京に…

当時、東京支部長をしていた私は二代目若林会長と密に連絡を取りながら、校友会の運営と発展に力を入れてきました。
校友会の中心となる会長を東京においても校友会運営が成り立つことに実感が得られたところで、三代目会長として学外の私が就任しました。

会長としての10年、そして顧問として

私は会長として10年間務めました。
その間には様々なことがあり、成し得なかったこともたくさんあります。
今現在、顧問という立場で再び校友会に関わっていると、当時はまだ考えが足りなかったことを反省する気持ちもあります。
その気持ちと同じくらい、積極的に携わってくれる現理事のみなさま、今まで支えていただいた卒業生、大学、先生方に感謝の気持ちでいっぱいになります。
これからも色々と工夫していかなければならないことが多々あると思いますが、顧問として助力ながら協力して校友会をより一層盛り上げていければと思います。

東北芸術工科大学校友会顧問 若林崇

※TOPの写真は2018年度卒業式に伴う卒業・修了祝賀会の際に撮影した現校友会理事と校友会活動にご協力いただいている大学職員のみなさまとの集合写真です。


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