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チチシス

3月10日父が亡くなった。

四十九日も先日無事済ませたので
自分の覚書として顛末を書いておこうと思います

2022年9月11日、出先で転んで救急車で運ばれ大腿骨転子部骨折
急きょ入院手術をした


9月の終わりにはリハビリ病院に転院。
転院先が家の近所だったので、着替えを持って行くのも
散歩がてら行けたし、コロナ禍ではあったけど、
面会も予約制の時間制限ありで月に数回は出来ていた。
リハビリをして、11月ごろには歩行器を使って
外を結構歩けるくらいになっていた。

介護保険も申請しケアマネさんも決まって
退院のめどがついたら自宅での生活がどれくらいできるか
一度家でチェックしましょう、というくらいになっていた矢先
誤嚥性肺炎になり、リハビリもままならなくなり
2月に少し離れた療養型の病院に転院になった。

口から食べると誤嚥するので点滴だけの状態で
このままどれくらいもつのか、はたまたリハビリで
また食べれるようになるのか、先が見えない状態ではあったけど
担当医も看護師さんたちも親切で
良い病院に転院出来てよかったなーと思っていた。

3月になるころ、容体が不安定になり
病院から電話がよくかかってくるようになる。
酸素が・・、血圧が・・、黄疸が・・
その時々で病状は異なるけども、あとは本人の体力次第だといわれていた

リハビリ病院にいた時も誤嚥性肺炎になった12月ごろから
「覚悟はしてください」と言われていたので
ずーっと覚悟してる状態だったのだ

3月8日、16時ごろ呼吸が弱くなってるので来られますか?と電話があり
ちょうどダンナが仕事を抜けられたので母と一緒に病院へ行く。
すわ、危篤なのか?!と思ったけどそうでもなく・・
(とはいえ、反応もあまりない)
一時間ほど付き添って、落ち着いているのでいったん帰ることに。

その夜中、2時ごろにも再び電話
もしものために枕元に着替えを用意してたのでソッコーで家を出る。
夜中だったけど、個室が空いていたので、とベッドを移動させてくれていて
母とダンナと私で、呼びかけるというか、話しかけるというか。
周りに気を遣うことなく過ごさせてもらえた。ありがたい。
だがしかし、このままずっと病院にいるわけにもいかないし
どうやら落ち着いてるので明け方4時ごろに帰宅。

9日から10日にかけても連絡なかったので
持ち直したかなと思っていたけど
10日の朝6時半ごろに電話が。

7時には病院についたけど、呼吸も浅く、反応もなく。
別室でモニターしていた看護師さんが
心臓止まりましたと教えてくれた。
7時18分逝去

人が死ぬ瞬間というものをはじめて見たわけだけど
明らかにその瞬間、違う『モノ』になったのを感じた。
ああ、魂って抜けるんだな。
命ってすごいな

最期に間に合ってよかった。


そして私は悲しいというよりも
緊張がとけてほっとしていた。
もう片時もスマホを離さず
病院からの連絡を気にしなくていいのだ

(葬儀編に続く)
(予定)

※今日の内容と関係ないタイトル画像は、そのころまだ硬かった桜のつぼみ


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