エチオピアテワヘド正教会って何?

エチオピアのキリスト教

前史: 建国神話とユダヤ教

日本の建国神話では神武天皇が日本の最初の天皇ということになっていますが、エチオピアでは、旧約聖書に登場するソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世が建国の祖とされ、ハイレセラシエまでに至るエチオピアの王朝を始めたと言われています。シバの女王はエチオピア(あるいは現在のイエメン)からエルサレムのソロモン王のところに赴き、ソロモン王との問答によって回心し、太陽崇拝をやめてイスラエルの宗教 (≒ユダヤ教) を受け入れたとされています。

今日でもエチオピアには一定数のユダヤ教徒が住んでいます (イラク、イラン、アフガニスタンにもユダヤ教徒が住んでいます(いました))。イスラエル政府はエチオピアなどそうした国々で政情不安があると空軍やエルアル航空を使ってユダヤ教徒の救出作戦を実施していますが、エチオピアにはまだユダヤ教徒のコミュニティが残っています。

キリスト教導入

エチオピアにキリスト教をもたらしたのは4世紀に活躍した聖フルメンティオスとされています。聖フルメンティオスは聖アタナシオス (原ニカイア信条を起草した人) から司教として聖別され、当時のエチオピア皇帝やエチオピア人に伝道を行いました。

その後もカルケドン公会議で異端として排斥されてシリアから来た (とされる) 九聖人が五世紀後半に当地に非カルケドン派の教義を伝えたり、修道院を開設するなどして、キリスト教の布教に努めました。

そのようなわけで、エチオピアのキリスト教は日本や中国、あるいはサハラ以南の国々のように大航海時代以降に欧米の宣教団体による伝道によってキリスト教を受容したのではなく、かなり古い時代にキリスト教を受容したことになります。比較のために言うと、イングランドにキリスト教が伝道されたのは聖オルバンの時代 (三世紀) で、ウクライナに伝道されたのはキエフ大公ウラジーミル一世が洗礼を受けたころ (988) です。

コプト正教会との関係

長い間エチオピア正教会はコプト正教会の一部とされ、エチオピア正教会の首長はコプト正教会から派遣された人が務めてきましたが、それらの人々は名目的なもので、実際にはエチオピアの出身の聖職者が教会内で実験を握ってきたし、コプト正教会とは関係のないエチオピアの教会内部で独自の進学論争が繰り広げられることもありました。
エチオピア正教会は1951年にコプト正教会から独立し、自分たちで総司教を持っています。

エチオピアテワヘド正教会の典礼

服装

コプト正教会と共通の習慣として、教会に入るときには靴を脱ぎます(靴下は履いたままでOK)。エジプトでもエチオピアでも、建物全般に入るときに靴を脱ぐ習慣はないので、これは教会という聖なる場所に敬意を払うための行為です。たまに御茶ノ水のニコライ堂にもエチオピア人が来ていることがありますが、彼らは靴を脱いでいます。ごくまれに平たい顔族で靴を脱いでいる人がいますが、彼らはエチオピアやコプトの所属です。(筆者だけではないです。)
また、エチオピア独自の習慣として、教会に行くときには、家を出るときから白いリネンの布を体に巻いて行きます。日本は寒かったり暑かったりするので、大抵の在日エチオピア人は教会に着いたら布を巻きます。男性は肩から全身を、女性はベールのように頭から全身を覆います。教会に来ている男の人は白いシャツに白いパンツを人たちが多いですが、その上にさらに白いリネンを巻きます。筆者のようにコプト正教会で洗礼を受けた人や、筆者の妻のように洗礼すら受けていない部外者でも例外ではなく、聖堂に入るとグルグル巻きにされます。

教会内部

男性は左、女性は右に座ります。昔 (大戦前) の長崎のカトリック教会の写真を見ると、昔はカトリック教会でも男女分かれて座っていましたが、コプトやエチオピアでは今でもそうです。小さい子どもたちも、女の子はお母さんのところ、男の子はお父さんのところにいます。
子供といえば、日本の教会と異なり、エチオピアの教会では子供が騒いでいてもお構いなしです。日本の教会には「泣き部屋」とか「母子室」という部屋があって、遊んだり叫んだりして礼拝に集中できない子供はそこに隔離されるというのがありますが、エチオピア人はそんなことはしません。聖体祭儀をやっている最中でも教会内で遊んでいます。(たまに走って物に衝突して転んで泣き出したりする子がいますが、すみません、筆者は典礼に奉仕しているので救援できません。)

典礼

典礼はとにかく式文を唱えます。唱えて唱えて唱えまくります。大体3時間くらい、司祭と侍者と会衆とで唱え続けます。コプト正教会の場合は、アメリカ合衆国南部教区が開発したスマホアプリ Coptic Reader というのがあり式文が全てスマホで読めるようになっています。特にここ50年間に渡り、エジプトのコプト信者たちはアメリカやオーストラリアにディアスポラしていて、アラビア語を解さないコプト信者がいる一方、典礼でアラビア語やコプト語を使いたい信者もいるので、この Coptic Reader は英語・コプト語・アラビア語の三ヶ国語を並行して表示するようになっています。
エチオピアにもそうしたアプリがいくつかあるようですが、あいにく筆者はアムハラ語もゲエズ語も分からないので見つかりません。

エチオピアの教会で特徴的なのは、傘を使うことです。日本では部屋の中で傘を差すのはおかしいこととされていますが、エチオピア正教では典礼のために部屋の中で傘を差します。日本製のハイテク素材で作られているわけではないので、めちゃめちゃ重いです。ニコライ堂では福音書を朗読するときに朗読者に金属製の巨大な団扇をかざしますが、機能としてはあれと似ているかと思います。ただ、こちらエチオピアの教会では福音書朗読以外にも、司祭が臨場する一部の場面や聖体拝領のときにも傘を使います。

司祭 (当時は筑波大学の大学院生) に傘を指している平たい顔族 (筆者)


聖体拝領

聖体拝領の仕方も、コプトとエチオピアで微妙に違います。コプトではご聖体を事前に全部ちぎって、参加者全員でちょうと食べ尽くします。エチオピアは一般参加者はひとつまみずつを拝領して、そうするとご聖体のほとんどは食べ残しになりますが、あとで司祭と助祭で至聖所で食べ尽くします。ニコライ堂やウクライナ正教会に出入りしている人からするともっと違っているように思われるかもしれません。彼らの教会ではご聖体をご尊血に浸してスプーンで拝領ですが、コプトやエチオピアでは司祭の手から信者の口に渡します。
ご尊血はコプト正教会では赤ワインを使っていますが、エチオピアでは茶色い色をした謎の飲み物を使っています。干しぶどうを砕いて水に浸けて絞った汁を使います。最後の晩餐以来、教会ではワインを使うのが伝統で、ごく最近になって一部のプロテスタント教会では酒を回避するために「ぶどうジュース」や「ぶどう汁」を聖餐式に使うようになりましたが、ここエチオピアではそうした謎の飲み物を使います。

日本にある教会、コミュニティ

東京都墨田区の周辺には100~200人程度のエチオピア人が住んでいます。エチオピアは政情不安が続いていて、在東京エチオピア人の多くは迫害を恐れて脱出した人たちです。蕨市にはクルド人が、西葛西にはインド人が、太田市にはブラジル人が、横浜には中国人が、新大久保には韓国人のコミュニティがあるのと同じように、墨田区、葛飾区にはエチオピア人のコミュニティがあります。

在日エチオピア人はこうした下町の工場で働いている人たちが多いですが、そうした中で彼らは自前の教会を持っています。工場街の中にあって、工場の建物をそのまま使っているので、中年以上の人たちには「サティアン」といえば外観や内装のイメージが湧くと思います。つまりサン・ピエトロ大聖堂のような宗教建築に代表されるような美しさや豪華さは全く無く、最低限人が集まれるようにしたところに、工場建築がミックスされています。
この建物は一階が工場になっていて、二階がもともと工場の持ち主の住宅だったものを教会に改装しているわけですが、このイメージは新約聖書に登場する「上の部屋」に近いです。最後の晩餐が行われたのは二階でしたし、聖霊降臨が起きたのも二階でした。
教会の内部については 8帖+8帖の1(L)DK を思い浮かべてください。2つの部屋はドアで繋がっています。片方の部屋は身廊 (信者たちが立つ場所)、もう片方が内陣 (祭壇、至聖所) として利用されています。正教会では、これらの部屋同士をつなぐには3つの門 (王門、南門、北門) が必要ですが、1つのドアですべて代用しています。イコノスタシスもちゃんとあります。2つの部屋の仕切りの壁には一面にイコンのポスターを貼ってあります。
洗礼槽もちゃんとあります!筆者は自宅に洗礼専用の90Lサイズの巨大バケツを持っていますが、エチオピアの教会にはビニールプールがあります。赤ん坊の洗礼式のときにはこれを膨らませて聖水を入れます。赤ん坊が洗礼を受けたときには、その聖水を使って大人にも顔に水を掛けます。(カトリックでも聖堂に入るときに聖水で十字を描きますがそれと似ています)

興味を持たれた方へ

筆者はエチオピア正教会ではなくコプト正教会に所属している助祭ですので、通常はコプト正教会での奉仕を優先しています。エチオピア正教会にはあまり行きません。が、司祭が来京していて聖体祭儀をやるときには、参加するようにしています。
エチオピア正教会に興味を持たれた方には、拙稿を読むよりも実際に見学されることをおすすめしたいですが、体調を万全に整えておいてください。まずは時間の長さ。彼らは4~6時間くらいは平気で立って祈り続けます。前の日は十分に早寝をしてください。あとは空気。彼らは狭い部屋でガンガン乳香を焚きます。ろうそくも使います。日本製の煤が出ない上品なろうそくではなく、エチオピアから直輸入した植物の芯に薄く蝋が付いているようなものなので、猛烈に煤が出ます。コロナ禍でマスクをして参加すると、マスクが真っ黒になります。時間と空気のダブルパンチで、普段は座ったままで賛美歌を歌い、牧師の説教を聞くだけの宗派の人たちが来るとまず倒れます。筆者の妻は携帯の椅子を持っていきましたが、座っているだけでも1時間でギブアップして帰りました。
ドレスコードは、男女とも慎み深い服装をすれば大丈夫です。どのみちチャペルの中に入れば、備え付けのリネンでグルグル巻きにされます。
あとは、朝は絶食絶飲で臨んでください。最近はカトリック教会でも夏の暑い時期に老人が倒れるケースが増えてきたので聖体拝領前1時間前の絶食絶飲を厳しく言わなくなりましたが、エチオピアはガチです。聖体拝領をしないなら絶食絶飲は義務ではありませんが、普段エチオピア人がどんなことを感じているかを理解したいなら、事前に絶食絶飲しておくことをおすすめします。
終わったら愛餐会があります。インジェラを食べます。エチオピア人は大きな皿にインジェラを敷いていろいろなおかずを盛り付けて、そこからみんなで手で取って食べます。手というのは文字通りで、インド人やパキスタン人のようにスプーンやフォークを使わずに食べます。これがエチオピア流です。なお、エチオピアでは夫婦や親友のような親密な関係の人たちは互いに相手の口に食事を入れる習慣がありますが、教会では食前の祈りのあとで信者が司祭の前に行列を作って、司祭から一口ずつ、口に食事を入れてもらいます。

参考

下記の記事は、教会堂を買う前の聖体祭儀を紹介した古い記事ですが、大体の様子はわかるかと思います。


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