ショートショート・誰でも昔は赤ん坊

四十九日の法要は、自宅から千代田線で6駅先の菩提寺で執り行った。
夫は89歳まで生きたので、大往生と言っていいと思う。

最近の日本の離婚家庭の多さを考えると、こうして亡くなった伴侶の法要を行えたのは、恵まれているのかもしれない。
私にとっても、亡くなった夫にとっても。

いくつかの波風はあったけれど、概ねいい夫婦だったのじゃないかしら。
お世辞にも私や子供たちに気遣いが出来ていた、とは言えないけれど、それでも戦後から高度経済成長期までを必死に働いて、家族の生活を成り立たせてくれ、家族が食べる事に困ったことはなかった。

隣にすわる息子は、本来、両の手に包むべき本位牌を傍らに置いて、スマホをいじり始めている。

失くしでもされたら事だ。
「それ、やっぱり私が預かるわ」と本位牌と自分の手荷物を交換した。
昔気質の武骨な夫は、定年の数年前に仕方なく会社支給の携帯電話を持たされたけれど、自分では最後まで使う事はなかった。

「あなた、50手前にもなって、そんなにゲームが面白いの?」
「古いなぁ、母さんは、僕の年代だってみんなやってるさ」

確かに自分は古いのかもしれない。
きっと亡くなった夫と比べて、最近の日本男児は軽薄になったなんて言うのはお門違いなのだろう。

それでも息子たちを見ていると、あの人の不器用さ、実直さが、逆に頼もしく思い出された。

そう思った時に、車両の先端のベビーカースペースで、赤ん坊が泣き出した。

その大きな鳴き声に、ある乗客は視線を投げ、ある乗客は見て見ぬふりをした。
赤ん坊というのは、小さな体からどうしてあんな大きな声が出せるのだろう。
不思議でしょうがない。

隣の息子が小声で呟いた。
「ほんと、迷惑だよなぁ」

いつかどこかで同じようなセリフを聞いた。
それは自分に投げかけられた言葉だった。

確か目の前のこの息子がまだ2歳くらいの頃、発熱して背に負ぶって病院に向かう電車の中で聞かされた言葉だった。
「うるせいぞ、だまらせろ!」
それに対して、謝る事しか出来なかった。
「病院はすぐだからね、我慢してね」
そうあやしても、息子は火がついたように泣き叫び続けたのだった。

その記憶がよみがえった瞬間、息子の頭をぺシリと叩いていた。
「なにすんだよ、母さん!」
「はぁ~、育て方を間違ったかしらねぇ・・」

そう、人は誰しもみな赤ちゃんだったのだ。
誰かに迷惑をかけ、誰かの手を借り、長じては誰かを助けて、そうして亡くなっていくのだろう。
天国で微笑んでるであろう夫の姿を思い浮かべながら、そんなことを考えた。

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