■称賛欲しがりおじさん・第5章 あらゆるモノにダメ出しせよ

精神の寄生虫に棲み付かれ、劣等感に目を背けながら人生を送るようになってしまった男性・・
その歪んだ想いがが外面に向かった時に、称賛を求める行動となって発露する。
ある意味、『自分教』という自身が教祖であり、同時に信者である、そんな宗教が内面に作り上げられるようなものだ。

そして、常に頭の中ではマウントを仕掛けている。
例えば、こんな感じだ。

前を走っている車のブレーキランプが点灯したとする。
“このゆるやかな下りの坂道で、前の車はブレーキを踏んだ。でもオレはエンジンブレーキだけでしのいでいる。だからオレの方が運転の腕前は上だ・・”
こんな感じで、常に頭の中で優劣をつけ、そして“オレは優秀”と思い込むことで、劣等感を払っている。

コンビニの駐車場に停めると、隣の車にはへこんだ跡がある。
すると、称賛欲しがりおじさんの心の内には喜びが生まれる。
“ドジな奴だ。でもオレの車は無傷だ。オレの方が運転技術が上だ!”
“オレの方が優秀”
“オレの方が上”
“オレの方が・・”
常にマウントを取り、必死に劣等感を拭っている。それが称賛欲しがりおじさんの頭の中で起きている心理現象だ。

時折、言葉に発される場合もある。
「なんだお前、猫舌なのか?、男らしくないなぁ」
別に猫舌であっても、男らしいか、らしくないかには関係がないのだが、彼の頭の中では“熱いモノでも平気で食べられるオレが上!”と、マウントが成立し、悦に浸れるのだ。
なぜ、そんな必要があるのか、といえば、それは劣等感から逃れるためだ。
とにかく、どんな些細なことでも良いから、自分が優位である、という想いに浸りたい。
青年時代から続くそれが、加齢と共に症状が重くなり、その行き着く先が称賛欲しがりおじさんだ。

●『否定癖』・あらゆるモノに、ダメ出しせよ

もし年配の女性が「スマホのQRコードで支払い・・、私には難しくってムリ。今まで通り現金で払いたい・・」と述べたなら、それは言葉通りの意味だ。
しかしこれが称賛欲しがりおじさんの場合、「難しくてついていけない」に加えて、“出来ないオレが周りの人間から侮られてしまうじゃないか!”という自己イメージが損なわれてしまう事への焦りと怒りの感情が上乗せされる。
だから『称賛欲しがりおじさん』は新しい技術を必死で否定する。
これは後章に記すが、この称賛欲しがりおじさんの『新しいモノをブロックする』という習性が、(日本)社会の発展を妨げてもいる。

この称賛欲しがりおじさんの一人よがりな価値観は、周囲の人間の顰蹙を買うが、何より本人自身が『新しい、自分の知らない何か』に怯え、その強迫観念が自身を追い詰めている。

例えば・・
「最近、〇〇のような音楽が流行っているのが、あんなのはまがい物だ。本当の音楽とは△△だ!」といった感じだ。
おそらく、これに類する発言を『称賛欲しがりおじさん』の口から聞いた事のある向きも多いだろう。

△△の部分には、その人が青春時代に聞いていた音楽が当てはまるケースがほとんどだ。(例:長渕剛、松山千春、B'z、等々)

彼らの頭の中身は古くなっているので、特に流行のモノ・新しいモノに関して否定的であるし、特に「何ぃ!、BTS?!、韓流音楽なんてみんなダメだ!」など、ナショナリズムが絡むケースも多い。
とにかく『自分の好きなモノ』=『一番優れているモノ』という図式が、脳内で固まってしまっており、『新しい何か』、『自分の知らない(理解できない)何か』は全て否定する。

筆者が小学3年生の頃、シャープペンシルが世の中で使われ始めた。
が、筆者の通っていた小学校を含め、ほとんど全ての小中学校でシャープペンシルは使用禁止となった。
4年生になって、クラスメートの女子が先生に質問した。
「どうしてシャープペンシルを使っちゃいけないんですか?、便利じゃないですか?」
教師からの返答は「鉛筆を削る事を止めると、人間が怠けてダメになってしまうからです」というものだった。
当然ながら、僕も彼女も、いやクラス全員がその返答には不服顔だった。
『固定観念』
「これまでずっとそうだったのだから、これからもそうであるべきだ」という凝り固まった新しいモノを受け入れない観念、それが邪魔をしている。
しかし、QRコード決済でも示した通り、称賛欲しがりおじさんの行うブロックは、この固定観念プラス“使いこなせないオレが、時代に置いて行かれる人間になってしまうじゃないか。蔑ろにされてしまうじゃないか”というエゴが背後に隠れている。
ドラえもんのタイムマシーンで明治時代の人間を連れて来たなら、「鉛筆なんて安易な物も使っては人間がダメになる。硯で墨をすらなくなったら人間がダメになるんだ!」と憤慨した事と思う。

20年位前だと「黒板を写メで撮っていては、頭が悪くなる。ノートにとるべきだ」と宣う大人が沢山いた。
しかし、自らの学生時代を振り返ると板書を書き取るのに忙しくて、教師の説明を聞き逃すケースも多々あった。
「書かなくては憶えない」というのであれば、撮影した画像から覚えたい部分を見極めて、それを何度も書いて覚える方が効率的だろう。

先の章でお笑い賞レースの公平とはいえない審査のあり方について触れた。
おそらく『しゃべくり漫才』の元祖であるエンタツアチャコがそれを始めた時も、当時の大御所からは「言葉が多すぎるし早すぎる。そんなのはお笑いとは認めない」と批難されていたのではないだろうか。
(そして30年後にはぺ〇ぱが「そんなこれまでにないスタイルは認めない」と若手を批難するのだろう。繰り返される歴史だ)
称賛欲しがりおじさんの、凝り固まった、自己保身の価値観が、他社への公正さを失わせ、新しい何かを試みる若者の台頭をブロックする。

最近、お札が新しいデザインに変ったが、その肖像が先日までの5千円札に用いられていた『新渡戸稲造』は、「最近、日本で普及しつつある野球というものは、日本男児の精神を堕落せしめるもの。禁止にすべきだ」と訴えていた。
彼は野球を中立的な視点で見ていただろうか?
それとも、“自分の理解できないこの運動(スポーツ)は気にくわない”という心理から、その主張を述べたのだろうか?
他人の心の内は、周囲には判らない。
故人ならばなおさらそうだ。
しかし『〇さん、〇変ですよ』という番組で、メインMCが「QRでの支払いなんかダメだ。これまで通り現金を使えばいいんだ」と憤慨しながら述べた時、筆者は“トップタレントであっても、(おそらく加齢による能力の低下からくる)劣等感に囚われ、全てを否定する人間になってしまったのだな・・”という失望感が胸の内に広がるのを禁じえなかった。

貴女は電車に乗るだろうか?
乗るならば週刊誌の車内吊り広告を目にする事もあるかと思う。
そこに並んでいる宣伝文句は、批判のオンパレードだ。
序章で筆者が銭湯で遭遇した老人たちの弁のように「あれが気に食わない。これが気に食わない」「芸能人や政治家など、弱味を突いてこき下ろしたい」そんな称賛欲しがりおじさんの心の声を代弁した文言が並んでいる。

『称賛欲しがりおじさん』は常に“オレが一番”“オレが最強”“お前を脅かすモノは全て否定しろ”と頭の中の『精神の寄生虫』の囁きに頷き続け、自分の中にファンタジーを描き続ける。
そんな『マウント』にすがりつきながら、彼らは日々を生きている。

●身勝手三段論法・虎の威を借る狐たち

筆者のかつての上司は「オレの地元で評判になった特産品は、必ず全国でヒットするんだ」と顔を紅潮させて、そう言った。
彼の頭の中では“地元は何でもヒットする特別に優れた場所→そしてオレは底の出身→だからオレは優れている”という身勝手三段論法が作動している。

筆者が20代の頃、セブンイレブンのオープニングアルバイトスタッフとして、新店舗の準備に携わったことがある。
その店のスーパーバイザーは、得意げに「トイレをお客様向けに開放したのは、セブンイレブンが最初なのだ」と述べた。
彼の頭の中でも、同じ様に身勝手三段論法が作用している。
“コンビニでは一番上位のセブンイレブンに努めている→そしてオレはそこの社員→だからオレは優れている”と。

前章で触れた「叔父さんがフェラーリを持っている」と吹聴する小学生の頭の中でも、“叔父さんはスゴい→自分はその甥→だからオレはスゴい”という身勝手三段論法が作用している。
もっとも彼の場合は虚言であり、叔父さんはフェラーリなんか持っていないのだが・・

いづれも「そんな強引な思い込みがある訳ない」と、常識人ならそう感じるだろう。
しかし劣等感に囚われ、藁をも掴みたい思いの者たちには、頭の中でその無茶な三段論法が成立するのだ。
そうやってわずかでも“自分は優位なんだ”とすがり着くことで、なんとか劣等感と折り合いをつけている。

もう卒業して何年も経つのに、また在学中に目立った功績を残した訳でもないのに、学閥として同じ出身大学で徒党を組みたがるのも、“オレはその優れた大学の出身なんだ・・”と、その想いにすがりたいからだ。

後章で詳しく触れるが、自分が生まれ育った国にすがり着くケースも多い。
“日本はアニメやマンガなど、優れたエンタメを世界に提供している→オレはその国の人間→だからオレは優れている”
30年程前ならば、“優れた車や家電を世界に輸出する日本という国の一員だ”と、それを自らの優位性と錯覚し、すがり着く者も多かった。
もちろん、その当人の頭のなかだけの幻想だ。
その人が家電を設計した訳でもなく、生産ラインで組み立てた訳でもない。ただその国に偶然生まれた、というそれだけだ。
それでも劣等感の大きな者は、どんな些細なことも自分の慢心の種とし、その思想にすがり着きながら生きなくてはならないのだ。

付録になるが、ナポレオンやスターリンなど身長の低い男性は、その劣等感から逃れる為、自身の力を誇示しようと野心的になり、(そこに実力が伴えば)世間に認められるような功績を残すことも多い。
しかし、元来の方向性が間違っている、つまり自身が称賛を得るために尽力しているので、そこに気付き改めない限りは、やがて破綻に至る。

そして劣等感を抱いている人間は、『自分が劣等感を抱いている』ということを他人に知られるのを、極端に嫌い恐れている。
もし貴女が男性に「劣等感を持ってるでしょ?」と告げたなら、それだけで築いてきた全ての関係が破綻するだろう。

●劣等感・飢餓感は大金を失う

筆者はずっと不思議に思っていた。
“なぜ女は実らぬ想いと判って、ホストに大金を貢ぐのだろうか・・?”と。
女の一番欲しいモノが『愛情』である事は間違いないだろう。
そして仮初めであっても、偽物であっても、それにすがりつきたいという飢餓感が、全てを麻痺させ、大金を巻き上げられると判っていても、吸い寄せられるようにホストクラブへ足が向く。

男も同様で、「さ・し・す・せ・そ」という『称賛』が欲しい、つまりは劣等感を拭い、自分の自尊心を見たしたい、という飢餓感が、大金を払わねばならぬと判っていてもキャバクラへと向かわせるのだ。

裏を返せば、家族や恋人との愛情に恵まれた女性は、ホスト通いはしない。
同様に、実力があり自尊心が満たされている男は、キャバクラに行く必要がない。
ホストもキャバクラも、心の隙間につけ入る商売という訳だ。
そして飢餓感を持たぬ芯のしっかりした人物は、地に足のついた生活を送ることができ、大金を巻き上げられることもないという訳だ。

●サラダの取り分けをしてくれる男性

さて、女性の為に書き始めた記事なので、カップル・夫婦における女性の為のTIPSを記そう。

サラダの取り分け、おしめ替え、等を積極的に行ってくれる男性は、称賛欲しがりおじさんではない。
称賛欲しがりおじさんは、“男はもっと大きな仕事、大金を動かすような、多くの人間に影響を与えるような、他人から称賛を浴びるような仕事をするべきだ。家事やサラダの取り分けのような些末な仕事は、女がやるべきものだ”と考えているからだ。

称賛欲しがりおじさんは、精子検査には行きたがらない。
“子供ができないのはオレのせい・・?、絶対にそんな事はない。問題があるとしたら、それは女の側だ”
自分の体に欠陥があるとは認めたくない。プライドが傷つく。耳元で精神の寄生虫がささやく、“自分に問題があるとは認めるな。お前は完璧なんだぞ”と。

ファミレスや喫茶店に入り、お冷や料理を運んでくれる店員さんに、「ありがとう」と言える男なら、それは『当たり』だ。
称賛欲しがりおじさんは、精神の寄生虫が耳元でささやいている。
“偉大なお前は、サービスしてもらって当然なんだ。感謝の言葉なんか言う必要はない”と。
「ごめんなさい」も同様だ。
“偉大なお前が謝る必要なんかない。ミスなんて絶対に認めるな”
そんなささやきの下、称賛欲しがりおじさんは、頑なに謝らない。

聞き上手な男も当たりだろう。
称賛欲しがりおじさんは、何とか相手から称賛を引き出そうと、自分の話、特に自慢話ばかりをする。

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