静かな完結を迎えた『タイムパラドクスゴーストライター』
『タイムパラドクスゴーストライター』(原作:市真ケンジ 作画:伊達垣大)がいつの間にか終わっていた。
私もその人気から途中は週刊少年ジャンプを買って連載を追ってはいたが、内容のアレさに諦めてコミックで続きを待っていた。だから、最終回を知るには人の反応から見るしかなかった。
しかし、あれほど登場時からネットを騒がせた作品なのに、最終回が話題にならないのは寂しいモノである。
連載開始時は私も色々と考察したが、この最終話、また単行本の書き下ろしを読んでも何も感じなかった。確かにアラはあるが、ひとまずはやりたかったことは全て作中で書かれているからだ。
打ち切りだけに「ソードマスターヤマト」ばりの伏線回収をしたといった所だろう。それをされては言う事などない。
ここが最終回が話題にならなかった要因の一つかもしれない。本当に自己完結したお話だけに。
また、今後内容が更新される可能性が高いが「ピクシブ百科事典」の方では作品内容以上に考察がしっかりされており、大抵の点はこちらで書かれている。(やっぱり、「ピクシブ百科事典」の方は白紙化されていました)
ゆえに自分から何かと語ろうと思っても、こちらで全て語られている感もある。
このように最終回を迎える前に、読者達によって無限のパターンを考察し尽くされ、話題性すらも失って、この静かな完結を迎えたのもあるかもしれない。予測されていた最終回の展開を裏切ることなかったわけだ。
少しだけ、私の考察というか考えを語ると、連載時からの負の盛り上がりで2巻での打ち切りは割と早い段階で決まっていたのだろう。
実際、1巻の発売は8月4日であり、連載終了の39号は8月31日。執筆の時間を考慮して考えると、打ち切りに対してコミック売り上げ結果は考慮されてないことが分かる。
純粋にアンケート等の反応で打ち切りは決まったのだろう。
そして、物語の内容的にも11話から打ち切りルートとでもいえる話の収集に入っていると思う。その最終話付近の濃密さを考えると最低でも3巻は見越して連載だったのだろう。
ゆえに打ち切られてなかったにしても、この結末が大きく変わったとも思えない。
正直、この濃密さもあって、この作者らは何が語りたかったのか分からない。いや、語りたいことを抜きにしても、この内容、結末で売れると思った理由は分からない。
1巻時点では少なくとも、それを楽しみにしていた。
だから、しっかり読み直せば考察のしがいはあるとは思うが、それでも一目で分からなければ、漫画という娯楽では意味がない。
それだけにこの物語を通して、読者が得たモノはないと言ってもいいかもしれない。
だが、アレな主人公、展開などから連載を追った者にはお祭り騒ぎであった。話題性だけはピカイチであったから。それをリアルタイムで楽しんだ者達には、この作品の意味は大きかったはずだ。
しかし、この熱気を知らなければ、後にこの作品を読んだところでやっぱり意味はないだろう。そう考えると炎上狙いの作品だったのか。
ただ、「盗作」を題材にした漫画は、打ち切りという結末を迎えた。この皮肉ともいえる結果であっても、盗作という犯罪行為を幕引きさせたのは無難な終わり方だったのかもしれない。
だから、1話同等の盛り上がりもなく、静かな完結を迎えたのだろう。
■友情と努力によって漫画の勝利は決まるのか?
少し野暮となる為、余談として聞いて欲しい。
ただ、1話目ラストで彼女がそれまで使ったと思われる大量の書き潰た鉛筆と、紙一杯に書き込まれた紙の山が出てくる。これが彼女の熱意という狂気じみたモノを感じさせる演出である。
これは「『タイムパラドクスゴーストライター』の佐々木哲平はなぜアナログ派なのか?」の方で書いた内容なのだが、物語のラストもこの大量の紙によって、凄さを見せていた。
この作品は漫画の出来を語っていながら、結局の所は大量に書いたから凄いという論理になっている。友情と努力によって勝利を得るジャンプ漫画ロジックで、漫画の出来を語れるはずもないのに、それで読者には出来の素晴らしさを見せている。
演出に対する野暮な意見かもしれないが、原作、作画の方も多くの漫画作品を描いてきた中では、この解が説得力があるモノと思っていたのだろうか。
やっぱり、読み直すと変な部分が多い作品である。
『タイムパラドクスゴーストライター』に関した書いた記事
読んで頂き、もし気に入って、サポートを頂ければ大変励みになります。 サポートして頂けると、晩ご飯に一品増えます。そして、私の血と肉となって記事に反映される。結果、新たなサポートを得る。そんな還元を目指しております。