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『タイムパラドクスゴーストライター』は漫画家を目指す者達への慰めか

『タイムパラドクスゴーストライター』(原作:市真ケンジ 作画:伊達垣大)が毎話、毎話出る度にどうであれ話題になるのを見て、疑問があった。

本来、単行本が出てから、読み直して、ここらを語るつもりであった。
だが、少し思う所というか、これの答えとも思える話題もあった。それを踏まえてもおおよそ考えが纏まったため、先行して語ることにした。
もちろん、単行本が出て読み直した際の話もするつもりである。

今回語る内容は基本、1話を軸に語っていく。

■題材は盗作

確かに『タイムパラドクスゴーストライター』は、良くも悪くも話題性がある。だから、反響があるのも分かる。
ただ、なぜあの主人公像でいけると思ったかは疑問ではある。ここは誰でも思う点であろう。
自分に取って、それとは別にもう一つ疑問があった。

漫画家の盗作をテーマに対して、読者が共感にしろ反発にしろ感情を引き出されると思っていた点だ。

そもそも、普通の人間にとってカンニングは経験しても、盗作などとは無縁の話だ。また、友達の宿題を写すのもある種同罪ではあるが、盗作と比べるとやはり次元が違う。
その題材を取り扱う葛藤など、普通の読者にそう分かるモノではない。

例えば、金銭の横領がテーマなら、大人には理解ができるだろう。ただ、子供にはテーマとしては難しい。ここは少年誌の話なので、青年誌なら金銭の横領は作品として成立する。
ただ、これが更に難解になって技術横領が主題となれば大人でも難しくなる。フィクションとしてのスパイモノで描くのが精々だろう。

もしくは盗作という題材ならドキュメントという手法がベストかも知れない。事実、佐村河内守氏が引き起こしたゴーストライター騒動は多くの影響を与えた。娯楽的な側面でも。
多分、この騒動がなければ『タイムパラドクスゴーストライター』は生まれてなかったかもしれないと思うぐらいに。
ともあれ、盗作、ゴーストライターを客観視する土場、下敷きがあるにしてもこの騒動は随分前の話である。

やはり、盗作を題材にするには一般的では無い。それも各年代から読まれている週刊少年ジャンプでやるなら尚更だ。

■現実的で切実な盗作模様

この作品での漫画家像は結構、リアルである。制作工程等の説明も入れられている為、漫画家を知らない人でもその一連の流れが分かる。
そして、漫画家モノの作品にありがちな、完成した漫画を提出することから物語は始まるのではなく、ネームの提出から始まっている。

実際、この主人公は物語開始時からまっさらな新人ではなく、新人賞という一段階をクリアしている。ほぼ漫画家を名乗っていい段階からスタートである。

ここも少しズレている。別に新人で十分成立する物語設定を中途半端に新人賞を取ったほぼ漫画家としている。

そもそも、ジャンプでは以前『バクマン。』によって多くの読者に漫画家という仕事、職業を理解することが出来ている。メディア展開もしているため、多くの人が漫画家という仕事にはある程度の知識を有している。

ただ、この作品はそこによりも更に内面を描く盗作は題材としている。

ともかく、このように扱う題材としては一般的な認知とズレている。主人公の立ち位置も変に中途半端。なのに、あれほどの話題を読者間で生んだ。良くも悪くもだが…

この点は逆に考えると分かる。そして、主人公である連載を夢見る新人漫画家に対して共感できれば、納得することが出来るだろう。

そう、読者にも盗作という禁断の果実に手を出そうした人達なら、理解できるのだ。

はっきりと言えば、この物語は漫画、もしくは創作物を作り、投稿をした、しようとした事がある人向けの話なのだ。
そもそも、1話では編集からの作品のダメ出しから始まる。
これを見て、何か心に刺さる読者にいるだろうか。『バクマン。』という下敷きがあったにせよ、普通の読者に創作物を生み出す苦しみに葛藤する主人公の心情は理解できず、ここからどう面白い展開になるのか予測は出来ないだろう。

単純に強きモノに殴られ、無力さに嘆いた主人公が、ふとした事で望んだ力を得る一般的な漫画構図であってもだ。

ただ、ジャンプは漫画家を目指して参考に買う人もいる。その人にはこの編集とのやり取りが刺さるのだ。
つまり、『タイムパラドクスゴーストライター』の読者層、ターゲット層は創作物を作り、それを投稿している人達である。

そうでなければ、この主人公の境遇に理解など出来ない。理解されなければ、話題にもならない。

■私小説としての漫画家漫画

こういった漫画家の不遇な体験談に関しては『漫画家残酷物語』(著者:永島慎二)でも描かれている様に古くからある。しかも、今の様な流通ではなく、貸本時代である。1961年から1964年にかけての作品である。

漫画家をテーマにした漫画がこの時代でも存在するように、この当時から漫画家という職業を知り尽くした漫画読者がいたのである。
ただ、そんな漫画読者は単なる漫画好きだけではない。漫画家という憧れ、なりたいという願望もあったのだろう。そうでもなければ、漫画という娯楽の奥にある、楽屋落ち、漫画家同士が語り合うネタまで理解できるはずがない。

また、この作品は私小説とした側面もあり、著者が漫画内にも出てくる。そうでなくともモデルとしても出てくる。そして、この著者は作家の間でも一目置かれる存在であったとのこと。

この事からも漫画好きを超えて、憧れ、なりたいという読者も昔からあったからこそ、ターゲット層と出来る土場はあった。
だから、ここを層に置くことはビジネスとしても間違っていない。

■不快感より空虚な主人公像

次に『タイムパラドクスゴーストライター』の主人公をこんな性格として描いたのか。

これに関しては1話の下記のシーンを見れば分かりやすい気がする。

佐々木くんのホワイトナイト評

原作:市真ケンジ 作画:伊達垣大 タイムパラドクスゴーストライター 集英社

主人公が初めて読んだ『ホワイトナイト』という漫画の評価である。この漫画の内容は作中では明確には出てこないが、ともかく面白いとされる漫画である。
ただ、この評価というか評論だけを聞いた読者にはどんな話かも分からず、面白いなどとは思わないだろう。

そもそも、第一声が大声での『面白い』である。グルメ漫画特有の一口目の絶叫か。そして、その後も取って付けた感想の後に、薄っぺらい評論を垂れ流すのである。

正直、グルメ漫画の方がもっと言葉巧みだ。

この作品のターゲット層が漫画家を目指す者達なら分かるはずだ。完全に新人賞を取った漫画家の言葉ではないことを。

この評し方だけでなく、すでに編集との売り取りで、この主人公に才能が無いことは示されている。
それも、ご丁寧に作中でもなぜ才能が無いのか、思想も無いのか等々を描かれている。本当にご丁寧にだ。そして、その指摘点には絵が下手とか、コマの見せ方が変とも技術的なモノはない。ただ、才能が無い点だけを指摘している。
しかも、当の主人公本人はその点に気が付いていない。

大体、『ホワイトナイト』評で語られる「てか俺一話目だけで初めて泣いた!!」この台詞である。
ここで主人公が未来のジャンプを読んでから、この台詞までのコマを見直して欲しい。主人公が涙を見せているシーンが無い、実は泣いていないのだ。
確かにうつむいてコマがあるが顔は明確に描かれており、涙が頬に流れた様子は無い。そもそも、うつむいている場面も描き文字からもフラついているだけで、他人の才能に落胆しているだけと漫画的にしっかりと描かれている。

ただ、「泣いた」に関しては虚言癖な嘘では無い。ありきたりで誰でも言える、薄っぺらい言葉が感想として出てきただけ。だから、泣けもしないのに「泣いた」と賛辞の言葉をひねり出している。
この主人公は中身も才能も無いと編集いっていた通り、他者の作品に対しても借り物の言葉で評価しただけで、自分の考えでも、言葉でもないのだ。
このシーンで徹底的に、主人公の中身の無さ、空虚を読者に見せつけたのである。

作者である原作と作画はここを分かっている。だから、「泣いた」と語っておきながら、絵では泣かせなかった。
ちなみにこの後、盗作したネーム、偽物である方を読んだ編集者達はきっちりと涙を見せて、泣いている。

佐々木くんのホワイトナイト評(2)

原作:市真ケンジ 作画:伊達垣大 タイムパラドクスゴーストライター 集英社

つまり、この作品は明確に駄目な主人公である事を読者に分かる様に描いている。ここに変に作者自身を投影した、願望のような姿では無いのだ。作者達は冷酷に客観視している。

この物語は1話でも分かる様に才能がない者が必死にヒット作を模索して作り出すサクセスストーリーでは無い。奇跡か偶然かによって得た、未来の作品を盗作する事で始まるファンタジーもしくはミステリーなのだ。

だから、誰でも漫画家になれる禁断の果実に、欲に負けて手を出した男の物語なのだ。だからこそ、主人公は欲に負けた弱い男である必要がある。
そして、それは「友情」「努力」「勝利」というジャンプのキーワードに反する行為でもあった。
ただし反していても、逆にそれらの要素は取り込んでいるので、ジャンプ漫画としては一応の成立はしている。

そして、先に語った『タイムパラドクスゴーストライター』の読者層が創作物を作り、それを投稿している人達とするとこの作品の意図が見えてくるだろう。

そう、この作品は漫画家を目指す者達、もしくは漫画家になれなかった者達への慰めなのではないか。

夢を叶える現実におけるチート行為、それは盗作では無い。「タイムパラドクス」なのだ。これによって、盗作に対しての良心の呵責、葛藤も軽減できる。

実際、今連載分での話では「タイムパラドクス」によって盗作はほぼ正当化されてしまっている。

■2つの読むストロングゼロ

話は変わるが、『連ちゃんパパ』(著者:ありま猛)がなぜブームになったのか。無料配信が切っ掛けにせよ、無料で読める程度では今の時代ブームになることはない。

しかも、主人公がクズというか、ゲロ以下のにおいがプンプンさせて、吐き気を催す邪悪さである。そんな不快感のある作品なのに、読むストロングゼロとまで形容されている。

そう『タイムパラドクスゴーストライター』も『連ちゃんパパ』と同じなのだ。こんなクズでも共感できるからこそ、ある種救いがない話でも主人公だけは救われているから楽しめる。
そして、読むことでストロングゼロを飲むかのようなに慰めとなるのだ。

なろう系の様にチートで異世界を無双して、チヤホヤされるのとは違って、底辺での描写をきちんと描くことで、底辺側に共感、理解されていること感じさせ、更に下がいることを見せることで救いを求める読者層もいるのである。

実際、福本伸行氏の漫画も知名度というか話題性が高いのは『賭博黙示録カイジ』、『最強伝説 黒沢』だろうか。逆にチート級のキャラが活躍する『アカギ』、『銀と金』は話題にはされにくい。

福本伸行氏の漫画で求められる主人公像は絶対的な強者よりも、絶対的な敗者なのである。実際、スピンオフで福本伸行氏からキャラを借りた『中間管理録トネガワ』など、強者であったキャラが単に中間管理職として苦悩する話である。本編で圧倒的ボスキャラを演じていた利根川はこの作品では鳴りを潜めている。

つまり、編集サイドも分かっているから、この路線でスピンオフを行っている。そして、その人気はアニメ化までされるほど実証されている。

■第三のビールの様に読者へ新たな酔いを提供した

ともあれ、こんなニッチな層をジャンプというメジャーな雑誌が攻めたことには疑問であった。しかし、これもまたジャンプという幅広い懐とも言えるのだが。

それに関しては作中でも語られている話、マイナーを攻めることは時として得策となることは。そして、それはブルー・オーシャン戦略とも呼ばれている経営戦略でもある。

また、ジャンプ自身、漫画家発掘として漫画賞や最近では投稿の場まで提供している。そして、漫画賞に関しては10代からも選ばれるほど、すそ野は広がっている。

多方面で『タイムパラドクスゴーストライター』は受け入れられる土壌があった。
そして、この物語を読んで一番刺さるのはかつて漫画家を目指した者達であろう。そうでなければ、盗作に対しての葛藤など理解もされず感情移入など出来ない。

そう、この物語は漫画家を目指す、いや、今もなお目指し続ける者達への慰めなのだ。
第三のビールの様に酔いたい人の為の読むストロングゼロである。安く、読めば何も考えなくて済むようになるから。

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