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8-02「スタイル」

連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回はRen Homma「独占と共有」でした。

「前の走者の文章をインスピレーション源に作文をする」というルールで書いています。

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center

【前回までの杣道】

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ある芸術家をまさにその芸術家たらしめているものはなんなのであろうか。その人の独自 性はその人の技術の中にあるということができるだろう。ある技術が生み出され発 展して いくのは実践の中においてのみであり、ある芸術家の独自性を表している技術とい うもの の中には単に技術のみならずその技術を必要としたその人の精神の働きをも含まれ てい るからだ。だからこそそれは独自性を持ち得るのであり譲渡不可能な芸術家の精神の一 部 分なのだ。芸術家は自分の内なる要請とそれを形にする方法を一体化させ発展さ せていく が、中にはここで内なる要請と呼んだものを原動力として様々な「技術」に身軽に乗 り換 えていき、そのような制作自体から刺激をうけそれを楽しんでいるように見える芸術家も いる。たとえばジャン・リュ ック・ゴダールはそのようなタイプではないかと思う。ゴダ ールとロベール・ブレッソンの以下のような対話がある。

ゴダール 「人はそれほど形式(フォルム)のことを考えるものではないということはよくわ かってい ます。とくに映画を作っている最中には。形式を考えるのは後になってからです。 たとえば、 カット割りをする時に形式のことなど考えません。いつも後になってから考え るんです。 『どうしてぼくはあそこではなくここでカットしたんだろう?』と。他の監督の 映画につい ても同じです。私がどうしても理解することができないのは、『なぜ彼らはカッ トしたり、 しなかったりするのか』ということなんです。」
ブレッソン 「私もあなたと同様、形式は純粋に直感的なものであるべきだと思います。直 感的でないと だめです。とにかく私にとって、それは最も重要なことです。」
    
ここでは彼らの内なる要請がまさに直感的であり、この直感が技術、芸術の固有の言語、彼 らの場 合には映画の言語へと高められていることがわかる。この直感的な判断、これこそ 制作とい うものである。 この直感的な判断がその芸術家の独自性を作っているのだが、面 白いことに真に驚くべき 芸術家は直感的な判断が同時に歴史と強く結びついている。ゴダ ールが直感的な判断を下 すためにはゴダール以前の映画が必要だったのだ。このことを T・S エリオットは芸術家に 絶対になくてはならない「歴史的な感覚」という。 

エリオット 「歴史的な感覚は過去が過去であるということだけでなくて、過去が現在に生 きていると いうことの認識を含むものであり、それは我々がものを書く時、自分の世代が 自分とともに あるということのみならず、ホメロス以来のヨーロッパ文学全体、及びその 一部を成してい る自分の国の文学全体が、同時に存在していて、一つの秩序を形成してい ることを感じさせずには置かないものなのである。」 

内なる要請に従いそれを芸術の言語にのせて自由に変形してみせる画家にマティスがいる。 今この文章を書いている部屋の壁にはマティスの「帽子の女」とフェルメールの 「手紙を 書く女」のポスターが並んで貼ってある。これを見ていると私はマティスの「歴史的な感覚」 を強く感じる。 これほど違うのにこれほど似ているなんてなんということだろう。

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