7-07 バクテリア・デモクラシー

連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回は藤本一郎「漫画「水は海にむかって流れる」について、あるいは、呪いとハッピーエンド」についてでした。

「前の走者の文章をインスピレーション源に作文をする」というルールで書いています。

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center

【前回までの杣道】


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ある時期を境に、私/私たちは自らを再帰的に定義するようになった。かつて誰かが夢想したであろう社会——人工知能によるシンギュラリティ、ネットワークによる意識の統合、あるいは宇宙植民——は到来しなかった。でもそれがなぜなのか、もう思い出せないのだ。私/私たちはもう人類史を編むことがないから。遺伝子編集が失敗し、取って代わるように菌叢解析による人体の組み替えが目指されるようになったのはどれほど昔のことだろう。あのおしゃべりな新型菌がバクテリア・デモクラシーを宣言したのはいつ。あるいは、あの熱波が過去の産業をことごとく破壊し、私/私たちを飢えさせたのは何世紀の話だろうか。私/私たちは暦を失くしたので、それさえ分からないのだ。気付いたときには、臓腑の裡に宿る魂の在処を見出していた。私/私たちは主語を放棄した。菌社会が突如自覚された。性交はよりディプロマティックな様相を呈した。口腔菌の熱烈な支持と膣内菌の猛烈な拒否が体内政治を分断するなんてことは日常茶飯事だった。私/私たちは星の巡礼、微生物の諍い、風に舞う胞子の一々に喜んだり悲しんだりした。菌糸の境を、感情の所在を、誰が劃することができるだろう。私/私たちはもうほとんど、ほどけてしまっていた。この宇宙のフラクタルに。

けれど、私/私たちの横には、人類を名乗る存在がまだ残存していた。彼らを揶揄して電磁アーミッシュと呼ぶこともある(けれど誰が呼ぶのだろう、誰が?)。電磁アーミッシュ達は自分達を「下劣なバクテリアどもへの主体の引き渡し」を拒んだ、人類史を継承する最後の存在であると呼んでいる。私/私たちは裸で生まれたままに土へと還ってゆくらしいのだが、彼らは無菌室に閉じこもり日々電子デバイスに囲まれていたずらに老いて何百年と生きるらしい。そうして敬虔な態度でプロシージャを遂行し、消毒剤を腰に提げて暮らすことで安寧している。私/私たちはそんな彼らを理解できない。原子-菌-身体-宇宙を巡る交歓を拒み、でたらめに物事を切り刻むくせに愛や連帯を謳う。そうして清算されない感情の貸借表を眺めながら死ぬことの意味がわからない。臓腑にうごめく無数の声が嗤っている。あいつら、まるで水面を見つめる金づちのようだぜ。インターフェースがそんなに大切なのかよ。

あの水晶のような住まいと同じく、電磁アーミッシュはあらゆる事象の表面を滑るように生きているのだろうか。私/私たちには、もう彼らの心根を読み取ることが難しい。

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