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9-04「イリュージョン」

連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。

9周目の執筆ルールは以下のものです。

[1] 前の人の原稿からうけたインスピレーションで、[2]Loneliness,Solitude,Alone,Isolatedなどをキーワード・ヒントワードとして書く

また、レギュラーメンバーではない方にも、ゲストとして積極的にご参加いただくようになりました!(その場合のルールは「前の人からのインスピレーション」のみとなります)

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center
【前回までの杣道】



図1



図2



図3


デイヴィッド・ホックニーのある一点の絵画とそこから生まれたもう一点の絵画、そしてそ れらから生まれたもうひとつの作品ともいえるある一枚の写真の三つを並べてみることで デイヴィッド・ホックニーの絵画の試みについて考えていきたい。それらの作品とは「Self Portrait with Blue Guitar」(図 1)、「Model with Unfinished Self Portrait」(図 2)、そして制 作途中のそれらと一緒にホックニー本人が写っているアトリエで撮られた写真(図 3)であ る。これらは入れ子のような関係になっていて「Model with Unfinished Self Portrait」の中 には「Self Portrait with Blue Guitar」とモデルが描かれていて、アトリエの写真にはその 「Self Portrait with Blue Guitar」と「Model with Unfinished Self Portrait」とモデルとホッ クニー本人が写されている。これらはみな「絵の絵」である。
「Self Portrait with Blue Guitar」は絵を描いているホックニー自身を描いた自画像である。 この絵に先立つ「The Blue Guitar」というエッチングの連作があり、この自画像はタイト ルにあるように「The Blue Guitar」を制作中の姿を描いたものであるということがわかる。 画中のホックニーはギターの形状を描いている。そして表現方法においても「Self Portrait with Blue Guitar」は「The Blue Guitar」を引き継いでいるといえる。「The Blue Guitar」の 制作を通してホックニーは非自然主義的な方法、絵画の約束事による空間表現を大胆に画 面に羅列、併置していくという方法を見つけていた。それは具象と抽象の間、その境界線の まわりで行われる戯れである。「The Blue Guitar」によってホックニーは「絵を描く」とい う行為、「イリュージョンを起こす」ということについてさらに自覚的な画家になっていた。 「Self Portrait with Blue Guitar」の風変わりな表現はこのように絵画における空間表現のレ ベルを自由に変化させることからきている。私にはホックニーが、絵画はちょっとしたボタ ンの掛け違えで写実的にも記号的にもなるものでありそれだから面白い、と言っているよ うに見える。「Self Portrait with Blue Guitar」を分析していくと、ホックニー、花瓶と花、 机、ピカソ風の頭部、カーテンなどは量を持たされているのに対して、椅子やガラス板、そ して浮遊している謎の線となると益々記号化が進められている。最も写実的に描かれてい て最も手前に位置しているカーテンはフェルメールやレンブラントがそうしたようにトロ ンプルイユとして、自画像に対してメタ的な存在となっている。ヨーロッパ絵画の伝統に反 して一点透視法ではなく等角投影法によって洛中洛外図屏風のような非自然主義的な空間 をつくりながら、奥へと向かう斜めの線に重なりを持たすことによって手前奥の空間をつ くっている。そうかと思えば赤と⻘の曲線を持った紐には手前から奥にむけて薄まってい く空気遠近法を使ってみせるところなどはホックニーらしくなんとも機知に富んでいる。 赤い線のみで描かれた椅子はまさに重なりにおいて描かずして手前に位置しているが、重 なり方には透明性という問題がある。花瓶はその透明性ゆえに机の色を反映しており、ホッ クニーの後ろの家のような赤い線で描かれた構造物は同じ赤い線でも椅子とは異なり透明 性を持ってして⻩色い線と重なっている。ガラス板はちょうどリキテンシュタインがやっ たように記号的にその透明性を表しながら透けて見えるエメラルドグリーンの地面を少し明るくしている。地面に敷かれた線によるカーペットは椅子の赤い線や浮遊している線の 兄弟である。点による水色のカーペットの不思議なデザインは椅子の影のようにも見え、描 かれる影とカーペットの柄は平面的な形としてまた兄弟だと言っているようだ。そうなる と下に降りる階段に見えているものもそのようなデザインのカーペットなのかもしれない。 角において接しているこの階段と机はそこを堺に地面より飛び出るものと凹むものという イリュージョンの性質を交代している。ホックニーは画面の至る所でマジシャンのように 手を替え品を替え様々なレベルでイリュージョンを起こして見せる。画中で机に向かって いるホックニーの上半身と下半身はややもすると切断マジックのように離れ離れになって しまいそうである。
「Self Portrait with Blue Guitar」で絵画のイリュージョンの方法自体をモチーフにしたこと でヨーロッパ絵画の伝統の外側にいったかと思えば、「Model with Unfinished Self Portrait」 ではその試みをすっぽりヨーロッパ絵画の伝統の中に納めてしまった。やはりこれは絵画 にまつわる戯れなのだ。「Model with Unfinished Self Portrait」は制作途中の「Self Portrait with Blue Guitar」を舞台装置の背景のようにしてその前で眠るモデルを描いたものだ。「Self Portrait with Blue Guitar」における自画像と⻘いカーテンのメタ的な関係は「Model with Unfinished Self Portrait」における「Self Portrait with Blue Guitar」そのものと⻘いガウン を着たモデルの関係へと反復されている。「絵」の手前にある「現実」であるモデルが眠る 空間は「Self Portrait with Blue Guitar」とは異なり、一点透視法で同じ光に包まれ自然主義 的に、フェルメールのように描かれている。これもイリュージョンの異なるレベルである。 「現実は写実的に描く」というわけだ。「Model with Unfinished Self Portrait」の画中のホ ックニーと眠るモデルを、また二つのチューリップの束と花瓶を見れば絵と現実の違いが、 しかし⻘いカーテンと⻘いガウンを見れば絵と現実の曖昧さが現れている。しかしそれら は実際は全て赤い線だけで描かれた椅子と変わらない絵である。この絵に現実があるのは 画面左上の絵の具の塗っていない地のキャンバスが剥き出しの部分だけである。 極め付きはアトリエで撮られたホックニーがこれらのキャンバスと一緒に写っている写真 (図 3)である。ここまで「Self Portrait with Blue Guitar」では非自然主義的な空間表現を詰 め 込 ん で み せ 、「 M o d e l w i t h U n f i n i s h e d S e l f P o r t r a i t 」 で は 対 照 的 に そ の 画 中 の 「 S e l f P o r t r a i t with Blue Guitar」の外側の現実を自然主義的に描いてみせた。そしてホックニーはここで 次のイリュージョンの異なるレベルとして写真を使ってみせている。ホックニーの自画像 の前には眠るモデルが、その手前にはそれを見ながら描かれた絵が、そしてその前にはそれ を描いているホックニーが写されている。ここに見られる複雑化した入れ子構造はこの作 品制作それ自体、つまり現実を平面に表す際の幾つもの方法を主題とした制作そのもので ある。

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