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ジョルダーノ・ブルーノ: 真理の殉教者に非ず

権力によって死罪にされようとも学問的信念を曲げなかった人として、よくジョルダーノ・ブルーノの名が挙げられます。彼は1548年、ナポリ王国のノーラという街で誕生しました。本名はフィリッポ・ブルーノ(Filippo Bruno) といいます。1565年、17歳でドミニコ会に入会し、ジョルダーノを名乗るようになります。

通俗的解説では、彼は地動説を支持した咎により火刑に処されたと説明されています。火刑にされる直前に彼が口にした「私よりも宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか」という言葉が、権力に抗い学問的な真理を貫き通した行動であるとして英雄視されることになりました。

しかし、はたしてこの単純な英雄像は真実だったのでしょうか? 実は、天文学史の観点からは不正確です。彼の宇宙論(当時は太陽系の描像が宇宙論でした)は、教会にとってはそこまで問題視するほどのことではなかったことが知られています。実際のところ、彼の宇宙論については、教会を表立って批判しなければ咎めないという和解に達していました。

では、なぜ彼は火刑に処されたのでしょうか? それは彼の破天荒なキャラクターによるところが大きかったのです。孤高の学問の徒として描かれることが多いブルーノですが、彼は日本の一休禅師と同じく破戒僧的な人物であり、かなりのトラブルメーカーでした。 その哲学的視点、特に神についての言及が教会の教義とことあるごとに対立したことで、教会としては看過できないという結論となったわけです。

Wikipediaでは宇宙論についても火刑の理由となったと説明されていますが、当時の資料を見るとこれは正しいとは言えません。 権力に逆らったという人物像はそのままですが、ブルーノは学説に殉じた研究者というイメージでは捉えられない「不良」でした。

個人的にはむしろ、史実的な彼のイメージのほうがカッコよく感じますが、それは不良世代を経験した者のノスタルジーでしょうか。 ともあれ、天文学史も研究する者として、少しでも正確なイメージを伝えられれば幸いです。

補遺
参考までに、ブルーノとカトリック教会のやり取りについて詳しく追った記述が以下の書籍にあります。

https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%81%AF%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%8B-%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%8B%E3%82%89%E5%8A%A0%E9%80%9F%E8%86%A8%E5%BC%B5%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%8B%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AB%96%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%A7-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A6/dp/4320047281

(2024年3月13日 初稿)

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