おじいちゃんがしんだ。

年末、おばあちゃん鶴のひとこえで10数年ぶりに全国から親族が集合した。病気のおじいちゃんを支え続けた久しぶりのおばあちゃんは気のせいか、ひと回り小さくなっていた。

病室に入ると、真っ白なベッドの上には目を開けることも声を発することもままならなくなった、おじいちゃんの姿があった。
わたしはその姿に強烈な『生』を感じた。呼吸も動きも微かで面会時間は約5分、それでもはっきりと生きていると分かる。生きている、死んでいるこの違いは一体なんだろうか、そんなことを考えながら元気だったころよりも少し穏やかになった顔をジッとみつめた。

その2日後に訃報が届いた。

元銀行員で厳格だったおじいちゃん。
口の悪かったおじいちゃん。
娘たち全員に「国立大学にはいりなさい」と告げ実現させたおじいちゃん。
甲子園の対戦表に線を引いていたおじいちゃん。
学生時代の戦争体験を話してくれたおじいちゃん。
結局はとても優しかったおじいちゃん。

親族と顔を合わせると、どうしても血の繋がりを感じる。親・兄弟・従妹たちの中にもおじいちゃんは生きている、当然自分の中にも。この人は1/2おじいちゃん、こっちは1/4おじいちゃん。おじいちゃんのどの部分が、どんな風に生きてるのだろう。

おじいちゃんという個体は自然との境界線がなくなった、ただそれだけのことだったんだろう。
みんなに会うための最期の抗いこそあの強烈な生の感覚だったんだろうか、わからない。

帰りしな、両親と檀家制度や葬式の在り方なんかを話した。「私は樹木葬が良いわ」という母の横顔を見ながら、わたしは何を想おう。

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