見出し画像

期待したのは自分

今話題の「婚姻届に判を押しただけですが」を先日観てみました。
清野菜名さんは可愛らしいし、坂口健太郎さんは透明感があり、素敵な2人だなと思ってみていました。

たまたま時間があったので、たまたまテレビをつけたら、たまたまやっていたドラマ。そのくらいのテンションで観始めましたが、そんなドラマの中にひとつ、私の考えを変えてくれた、そした胸に抱えた違和感を解してくれた場面がありましたので、今日はそれについて書きたいと思います。

話の筋にも関わるところが1箇所あるかと思いますので、なるべくネタバレをしないよう書きます。

最初は、清野菜名さん演じるデザイナー(?)の女性が憧れの作家に会うシーン。あんなに可愛い作品を描くんだから、本人も優しい人に違いない!と言って、大好きな作品について、その作家に熱く語ろうとしますが、「そういうのいいから」と断られてしまいます。彼女が思っていたよりツンとしていた人のようでした。大好きな作家に跳ね除けられて、落ち込むかと思いきや、憧れの作家に会えた!と喜ぶ彼女を見て、坂口健太郎さんは落ち込んでないのか?と聞きます。すると、「会えたことが嬉しい。勝手にイメージを作ったのは自分だし、あの一面もあの人の一部だから落ち込まない」と彼女は答えました。

そしてその回の終盤(ここの内容は話に関わるかと思いますのでセリフのみ抜粋します)、坂口健太郎さんが、清野菜名さんの言葉ではっとした部分があったようで、「悪い所も彼女の一部だ、勝手に期待したのは自分で、悪い所を含めて好きなんだ」と言っていました。

私はよく人に幻滅してしまいます。
こんな人だと思ってなかった、と、身近な人に対しても、芸能人に対してもです。身近な人とは会話のどこかで違和感を覚えた瞬間、それ以降の会話も悪い所ばかり目にしてしまいますし、好きな芸能人がいても、ワイプに映る素の顔とか、ちょっとした仕草とかにその人のキャラではないような部分が見えると、え…この人もしかしてこういう人…?と違和感を覚え、いつの間にか違う芸能人を好きになっていることが多いです。
だから私は、「一緒に過ごす友人」の移り変わりが多いですし、芸能人の好みも変わりやすい自覚があります。ずっとひとりの芸能人を好きでいられる人や、いつメン(死語?)と一緒にいられる人を見ると、すごいなと思って見ていました。
社会人になり、今住んでいるところがかなり田舎で、友人が沢山住んでいるところに行くには最短でも電車で40分はかかります。平日の限られたコミュニティでは、今までのように「一緒に過ごす人」を変えていくこともできないので、ある日からふと、なんでこんなに私は人に幻滅しやすいのか、どうしたら直せるのか…と考えていました。

そんな時出会ったのが、このドラマでした。
はっとする、とはこういう事かと思いました。

私はずっと人に勝手にイメージをつけて、勝手に期待して、それを破られると勝手に落ち込んで勝手に幻滅していたんだなと。24歳であれば当たり前に気付けるはずの事ですが、人の悪い所はすぐ見つけるくせに、自分の悪い癖はずっと見ないふりをしていたんですね。
そのドラマを見てからまだ2週間ほどですが、この2週間で、「人に幻滅しない方法」をなんとなく習得できてきた気がします。

「人に期待しない」と決めてしまうのは、なんとなく相手に対しても失礼かと思い、「全く期待しない」という訳ではなく、「期待はしてもその通りになる訳では無い」と念頭に置いて日々を過ごすことにしました。そうすると毎日が少しづつ楽になりました。
お客様対応が多い仕事で、初めてお客様に対面した時の雰囲気で「この人はこういう人だろうな」と分かるようになってきて、それは大体当たっているので、その人に合った対応も出来ている気がするのですが、それも時々予想が外れることがあります。穏やかな雰囲気で入室してきた方が、対応するのが若い女だと分かると、ものすごく横柄な態度を取ったり、いきなり声を荒らげたり…それにいちいち落ち込んでいた自分もいましたが、このドラマを見て考え方を改めてからは、落ち込むことも減りました。
友人に対しても、芸能人に対しても同じです。

今思えば、恋人が居た時も、きっと期待しすぎていたのだと思います。たとえば誕生日について。毎年私は彼に誕生日にはケーキを用意したり、お店にプレートを頼んだりしていました。私はサプライズされるのが好きなので、「次の私の誕生日には、ケーキ買ってきてくれるかな…」と期待していましたが、3年間1度もケーキが出てきたこともプレートが出てきたこともありませんでした。プレゼントを貰って嬉しいはずなのに、どこか寂しい自分がいたり。彼のいない日にひとりでケーキを買ってひとりで食べていました。私にサプライズするほどの価値がなかったのか、彼がそういう考えのない人なのか、今となってはわかりませんが、いずれにせよ勝手にサプライズを期待していた自分が、サプライズをされなかった事で勝手に落ち込んでいたので、相手の人間性はさておき、今となれば私も自分勝手だなと思います。

別れてからの誕生日は、好きにケーキを買ってプレゼントを買って、なんかサプライズとかしてくれる人なんていないのに、今まででいちばん楽しい誕生日でした(笑)なんであんなに楽しかったのか…それを思い出して、このドラマのセリフと繋がって「他人が0を1にしてくれるはず、と勘定したのは自分なのに、0のままだと勝手に凹むのは私の悪い所だった」と気づけました。

これからは「自分がいかに、0を100にできるか」を考え努力したいと思います。

そして、「期待するのは勝手だが、思い通りにいかなくても落ち込まない」これをしばらくは自分の中の1番大切にする目線として持っておこうと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。寒くなったり、まだ暖かい日もあったり…でも気づけばマフラーは手放せなくなりました。お体に気をつけてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?