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井の中の蛙大海を知る

大学はいよいよ春休み。

学生は春休みを謳歌する者、留学に行く者、就職活動に臨む者、さまざま。

一方、大学教員は後期の成績評価が終わったと思えば、すぐに次年度の準備や入試、卒業判定会議などがある。忙しい。

そうした中でも、講義期間中に比較すれば時間があるわけで、すでに京都、東京、そしてまた京都とたびたび出張に出ている。そうでなくてもゼミのプロジェクトで某高校に出向いたり、商店街振興組合の会合に呼ばれて講演をしたりもしている。明後日からはたびたびお世話になっている岡山県津山市に家族同伴で2つの講演を行う。その後も台湾でのゼミ合宿、釜山での研究会、奄美大島での調査と目まぐるしく日が過ぎていく。

まさに「1月行く、2月逃げる、3月去る」を身を持って体感している。何より辛いのは、年々この速度が加速度的に速まっている感覚があることだ。

研究会は学びが多いが…

さて、今日は京大での研究会。京大の某先生をヘッドとする科学研究費補助金の研究チームによるもので、中小企業の管理会計をテーマにしているものだ。10名ほどの優秀な若手研究者に混ざって勉強させてもらっている。

チームは定量な研究を行うものと定性的な研究を行うものに分かれているが、年長者ということもあって(なぜか)定性的研究チームのリーダーに任じられている。

が、これが正直荷が重い。優秀でアイデア豊富な若手研究者たちに比べれば、陳腐で深掘りされていない研究成果しか出せていない私が彼らを率いることなどできない。今日も素晴らしいアイデアが出てきて、私は大人しくしているしかなかった。

こうして「吾唯足るを知る」状況に身を置くことで、まだまだ学ばねばならないことがいくらでもあり、もっと貪欲にと思う一方で、ハードディスクもメモリも小さな私の頭では理解できない話もあるわけで、残念ながらわからないことだらけだ。

悔しいが、この研究会に参加するたびに自分の小ささ、やっていることに価値があると言えるのか、果たしてこれからも研究を続けていて良いのかと感じる。

自分がその水準に達していないということがよく分かるのだ。

もう少し言えば

ここにいても何も貢献できないと恥ずかしさを感じるのだ。

が、そこで投げてはいけない。自分に言い聞かせている。学生に対して「できない自分に向き合う」ことを日々実践している。

井の中の蛙ではいけないのだ。こういう研究会は自らの立ち位置を改めて確認できる時間なのだ。本当に悔しいが、何もできない。

自問自答の春休みか

というわけで、人には「先生!先生!」と言われる仕事をしているけれども、その主たる仕事である研究では何も残せていない。

だから、教育、だから行政というわけでもない。

この職業を長くやればやるほど、自分がアップデートもできず、同じことを繰り返しやり、形を作れずにいる。本当に向いていないなと思う。

年齢的にもそろそろ何かを残さねばという不安と向き合っている。でも、何かが生まれそうな気配もない。ただ時間が過ぎていく怖さしかかない。ヤバい。

もう何年もこう過ごして進歩がない自分にも嫌気が差している。一体何ができているのだろうか?

人にはアップデートと言うのにね。

ちょっと愚痴りました。こういう悔しいと思う気持ちを記しておくことも大切なことだと思うので。皆さんには申し訳なく思います。


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