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何年かに一度来る,学生から私に暗黙的に求めてくるアップデートの時期なのかもしれない。

今日の3年ゼミでの報告。女子商と飯塚高校で実施している生成型AIを用いた授業を進めてくれている学生のプレゼン。ここまでプログラムを非常に丁寧に作り込んでいて感心しきりだし,感謝している。

今日のゼミの様子。

「なぜ学生を教壇に立たせるのか?」

ここに書いてあることが正しい,間違えているというのではなく,こうやって自分が積み上げている経験,高校生と交わしているコミュニケーションから学生が自ら学んでいることを言葉にできるようになるからだ。

生成型AIを用いている理由は「問いを立てる」ことの重要性を高校生に感じ取ってもらうため。与えられた問いを解くのではなく,自ら問いを立て,それを深掘りし,「自分だけが知っている真実は何か」にたどり着くことを狙いに授業を進めている。壁打ち相手として,調べることに時間を費やすことなく,当座の答えにたどり着くことで時間を節約し,頭を使う時間を増やすためだ。アイデア出しに全力を傾ける。

が,これは高校生にしんどい。何のためやっているのか,どこにたどり着くのかということを示すことなく,「問いを立てる」重要性を全面に押し立てて授業を進めている。そういう意味ではかなり不親切だ。が,(先日高校生を対象に行ったインタビューを見る限りでは)完全ではないけれども伝わっている。問いを立て,論点を深掘りしていき,真実にたどり着く意味を。答えを探すのではない。自分で創るのだ。

その上でのこのスライドが出てきたので,どう理解して良いのか。どうも癖で抽象的に構造を見に行こうとしてしまうのだが,あまり抽象的すぎては良くないし,具体と抽象のバランスが重要。私は「なぜ?」「どうして?」とすぐ聞いてしまうし,今目先にある問題とそれを続けることの意味をつなぎ合わせて聞いてしまう。

が,学生に言わせれば高校生にとってはそれでは良くなくて「答えがひとつじゃなくて,議論が生まれるような問い」であり,「さまざまな角度から新しい気づきが発掘される問い」が良い問いだと言うのだ。

目から鱗。が,これに気づいたということは,学生自身が「唯一ある正しい答え」という思考から抜け出せたことを意味するのかもしれない。さまざまな答えを許容する問いを立てようというのだ。深い学び,分野を越える,本質に迫るというキーワードが出てきたことも素晴らしいなと感じる。

まだ最終回の授業があるし,プログラムとしての完成度からすればもう少し改善の余地があるけれども,単に講義を作る,単に決められたタスクをこなせば良いのではなくて,真剣に生徒に向き合って試行錯誤をしているからこその「当座の答え」を出してくれた。

これを見て来年度中心期を迎える2年生は何を感じるだろう。いや,私が来年度に向けて大きな宿題をもらった気がする。もしかしたら,私が朧気ながら感じていた不安,天井が見えている気がしてならなかった感じを突き抜けさせてくれる問いを投げかけてもらった気がする。もう少し考えを深めて議論を続けたい。

いきなりレベル上がった感じがするな。多分私が見落としていただけなんだけれども。素晴らしいですね。この価値がわかって頂けると嬉しいなぁ。

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