見出し画像

不思議な帰属意識:下関訪問記

既報の通り、先日の「九州移住ドラフト会議」に下関市から出場した下関テンノッツにご指名を頂きました。緊急事態宣言下で関門海峡を渡ることを多少なりとも躊躇しましたが、少しでも早くこの目で確かめたいことがあったので、滞在時間1時間で行ってきました。

今回出場した球団で最も◯◯

現在の下関市は、われわれが「下関」と聞いてイメージする下関を中心とし、東は城下町・長府、そして響灘に沿って本州の西端、北は角島で有名な豊北エリアまでを含みます。現在の人口は23万人あまりで中核市に指定される街です。山口県最大の都市であり、恐らく今回出場した球団の中では最も大きな都市でしょう(あ、長崎市があるけど…)。それだけに他の球団と圧倒的に異なるのは、いわゆる「田舎らしさ」がないこと。関門海峡の向かいは北九州市門司区で、古くから「関門」と呼ばれ経済圏として一体化してきた。平成の大合併が進んだ2000年代には関門特別市構想なるものも立ち上がるほど、繋がりが深い。

画像1

対岸は門司港。九州は近い。

下関と言えば、源平合戦終焉の地に名を残す壇ノ浦、明治維新の立役者である高杉晋作にゆかりがあり、明治以降は関門トンネルができるまでは本州の最西端の駅があり、関門航路で九州に渡る中継地に。日清戦争の講和条約である下関条約が結ばれたのもこの街だ。歴史の節目に登場する街。

そして、今でも残る国際航路「関釜フェリー」で韓国とのつながりが深い。一時期、Startup Weekendの関係で福岡と姉妹都市にある釜山によく行っていたが、その時に必ず話が出てくるのは北九州と下関。市街地にはコリアンタウンがあり、COVID-19以前はインバウンドでの来訪客が非常に多かったそうだ。

また、港周辺には多くのクレーンが立ち並び、工業都市としての側面も見せている。門司や小倉もそうなんだけど、下関は明治、大正、昭和と東から来た人たちにとっての異国への玄関口だったのだよね。

こういう歴史的な背景を持つ下関、他の街も立派な歴史、資源をお持ちなんだろうけど、何がどう課題なのかを掴むのはなかなか難しいだろうなというのが、行く前の率直な感想だった。

ゲストハウスuzuhouseを訪問

下関駅に到着後、バスに乗車して赤間神宮前へ。今回、ご指名頂いた球団代表が運営されているゲストハウスを訪問した。その名もuzuhouse

画像2

ゲストハウスuzuhouseの全景

元々割烹だった建物を建築を仕事とされている球団代表が改装し、現在はゲストハウス、シェアオフィス(1日ドロップインで800円は激安!)、コミュニティ・スペースとカフェが併設されている。約50名近くが宿泊でき、ドミトリーもあれば、立派な個室もある。ゼミの合宿所として最適な規模だ。

画像3

uzuhouseの屋上から見える景色

屋上はテラスになっていて、風の強い冬は長時間滞在するのは辛いが、それでも気分転換になる。左を見れば関門橋が、右を見れば唐戸市場などの施設が見渡せる。

画像4

海がほんとに目の前

今回は本当に軽い下見のつもりで来ただけだったけれども、滞在した1時間でいろいろなお話をお伺いできた。企業調査をしていてもそうなのだが、いくら事前調査をしていても、そこに住む人、働く人の話を聞くと見え方が変わってくる。先入観が少しずつ壊されていく感じ。

聞けば、門司側で私がお世話になった税理士さんから、私が取り組んでいる様々な取り組みについて噂は聞いておられたようで、その聞いた話の本人が目の前にいることを驚かれていた。

また、私からできることとしては、これまでやってきた創業体験プログラムや高校・大学との連携、地域のフィールドリサーチなどの機会を通じて、街を知り、学生の学ぶ機会を創り出していきたいというお話をした。

画像5

今回ミーティングをした3人で

これから少しずつ、少しずつ、動き出していきたい。

移住ドラフトの番組をジャック

そうこう話しているうちに、正午を迎えた。

事前に担当者に下関へ行く旨を伝えていたので、火曜日の正午にFacebook上で放送されている「給食時間の放送室」に出演することに。詳しくはリンクを見て頂きたいのだが、当事者のお2人を取り残して私が1人で喋る展開に。悪い癖が出ました(爆)

1つ申し訳ないなと思ったのは、下関はやっぱり山口県で、九州ではないんですよね。番組内では「いや、九州ですから!」とネタ的に言い張ってたんですが、やっぱそうじゃない。このあたりは、もう少し表現の方法を検討しなければいかんなと思った次第。

小倉で関門で一体的に取り組んだ取り組みについて聞いた

その後、午後から以前からお世話になっているデザイナーと約束があり、小倉へ。1時間ほどあれやこれやとお話。

その中で、当然「どうして下関に行ったの?」という話になったので、これこれこうこうと話をしていると、以前取り組まれていた「関門時間旅行」という取り組みについて教えていただいた。実は今回ご指名を頂いた方々もこちらに関わりがあるとの話で…。

上段はWeb、下段はYoutube。コロナ禍の影響もあって2020年7月で更新が止まっているが、「関門一体で何かしたいんだ」と仰っていたことがここである程度表現されていた。著名なデザイナーを招いて講演会(座談会)をやったり、関門にある歴史的な遺産を紹介するような記事も掲載されている。気合いの入りよう足るや。

帰宅後母から連絡が

Facebookには以前書いたのですが、私の母方の祖母は角島の向かいにある小さな街、阿川の出身。今は下関市に組み入れられていて、この時点で十分に下関と私には元々縁があることになる。しかも、先日部屋を掃除していて見つけた祖父の手記には、祖母の法事か何かで昭和60年に祖父が下関を訪問した際のやり取りが記載されていた。その話し相手であった母にとっての叔母が、下関の彦島にお住まいだということを知った。母も会いにいきたいが、このコロナ禍では簡単に動けないと嘆いていたが、まさかまさかの展開。

母方の祖父は筑後にルーツがあり、祖母は山口・下関にルーツがある。もしかしたら、今ここにいるのは必然だと思わせるような何か見えない糸で繋がっているのかもしれない。

となると、私が下関に対して強い帰属意識みたいなものを感じているのは移住ドラフトで指名されたからだけではないのかもしれない。いや、移住ドラフトがキッカケで帰属意識を持つようになったのだけど、それは自分のルーツを呼び起こすものだったのだ。

人の縁とは本当に不思議なものだ。どこかで繋がっている。

雑感:今後に向けて

どんな街に行っても思うことだが、街に張り付いている空気感、コンテクストのようなものが見えてこない(実感できない)と、帰属意識みたいなものは生まれづらい。ましてや、目に見えるものに意識が行きがちな大学生くらいの世代となると、下関にあるものは古臭くしか見えないのかもしれない。

歴史はある、人もそこそこいる、買い物には困らないけど、煌びやかさが欠けている。よく見れば街に彩りはあるはずなんだけど、それを磨き切るための力が失われつつある。

そこにある当たり前がいかに他の街に住む人にとって当たり前でないのか。それを気づく機会を作ることも来訪者の役割なのかもしれない。当たり前が実は価値なんだと。すでに言い古されたことではあるけれども、そこからスタートなんだよね。

球団代表の沖野さんが言われていた「気軽に来てもらって、1日でも2日でも滞在したいなと思ってもらえる場所にしたい」をどう形にしていくか。街にどう潤いを与えていくかをこれから考えていきたい。

が、あまり先走らないように。中途半端に終わらないように。そこは気をつけたい。ようやく実践者として動ける機会が巡ってきたのかもしれない。どうなんだろう。

余談

下関と言えば、みなさん「ふぐ」を思い浮かべるでしょうが、「焼肉」も相当美味しいそうです。確かにGoogle Mapで「下関、焼肉」と入れてみると、街の中心部にある程度集中的に焼肉店が立地していることがわかる。特に駅北側のグリーンモール商店街はリトル・コリアと呼ばれる場所で、韓国雑貨などが売られる店が並んでいるそうだ。

画像6

とあるお店のメニュー

というわけで、次は焼肉を食べにいきたい。行けるかな。早く◯◯事態宣言よ、終わって欲しい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?