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「ある豊かさ」と「ない豊かさ」:ゼミ合宿を終えて

数名の学生がすでに書いてくれているように、昨日(9/15)まで2泊3日でゼミ合宿でした。言いたいことは多々あるけれども、それはこれからのゼミ活動に現れるだろうから黙っておく。今日は3日目の串間への訪問と今日1日の休息で感じたことに触れておこう。

陸の孤島:串間市への訪問のきっかけ

串間市は今回の合宿地であった日南からさらに南へ車で40分。宮崎県最南端の人口1.7万人の都市。主要産業は農業と漁業。市内にあった6つの中学校が1つに統合されたほどの典型的な少子高齢化が進んでいる。確かに街には何もない。目に見えるモノはない。が、魅力はいくらでもあった。学生が述べているように、本当に行って良かった。

今回の訪問は、8月初旬に開催されたオープンキャンパスがキッカケだった。高校3年生のお嬢さんを連れてきた保護者が同市の市役所職員であり、別の学科の説明会で出会った同僚が私を紹介したそうだ。串間市は日南市に隣接し、お嬢さんも地方創生や油津商店街の取り組み、アンブレラスカイプロジェクトなどを知っていて、すぐに意気投合した。そして、合宿を行うことをお伝えし、3日目に訪問することとした。

豊かな資源

串間と言えば都井岬。が、実際には生活するにも豊かさを感じることができた。

地元スーパーを訪問
地方都市に来ると必ず訪れるのがスーパー。その土地の生活様式が表れるから。今回も所用があったものの、地元スーパーを訪問することができた。

例えば、串間市内に豆腐メーカーは2社あって、微妙に固さが違う。聞けば料理の用途に応じて豆腐を使い分けたりするらしい。

また蒲鉾や天ぷら(揚げ)も串間の名産で種類も豊富。2社くらいで作っている模様で、1つ試しに買ってみたが大変美味しく頂いた。ゆで卵1つが丸ごと入った卵巻きなるものもあり、地元では運動会と言えば卵巻きが楽しみだったそうだ。青いかまぼこは弔事に使ったりするそうで、地域が異なれば食文化が異なることを改めて実感した。

また写真を撮り忘れたのだが、このスーパーで朝食用のネギトロ巻きを買って車内で食べたのだが、これが抜群に美味かった。このあと漁港に連れて行ってくださったのだが、そこで見かけたキハダマグロの刺身の柵が生だった。串間ではマグロを生で食べるのが当たり前だそうだ。贅沢。

絶景の都井岬
そして次に訪れたのが都井岬である。ここでは言葉で表すのが陳腐なほどの絶景が見られた。天気は期待できないと思っていたが、岬に着いた瞬間に雲が切れ、お天道様が見えてきた。快晴だった。

野生馬である御崎馬にも出会えた

270°広がる海

まちのカフェでしばしトーク
昼食は地元の回転寿司を頂き、地場産品を売る「駅の駅」を訪ねた。

さらにお誘い頂いて市役所横でカフェを営む女性を尋ねた。

管理栄養士の女性が開いたカフェ。民家に少し手を入れて発酵食品を中心とした朝食やランチを提供しているそうだ。私たちが訪れた時にはアイスクリームとハーブティーを頂いた。

そこには串間市教育委員会に勤めておられる方も同席され、少し串間市の教育事情についても伺った。

冒頭に記したように、串間市は昨年6つあった中学校を1つに統合するとともに、私立中学校と県立高校(宮崎県立福島高校)の中高連携を行っているそうだ。これにより地元中学生の学力の底上げを図りたいと仰られていた。探求型学習にも取り組まれているそう。

また地元に大学がないので、ロールモデルがないことが悩みだというようなことも言われていた。進学するのであれば市外に出るのが当たり前だが、その進学にいかにリアリティを持たせるか。難しいようだった。

話は非常に盛り上がり、気づけば2時間ほど滞在した。

地域おこし協力隊員との会話
今回の串間訪問にはある地域おこし協力隊員が同行してくださった。大学4年時から3年間隊員として活動し、この9月で退任されるそうだ。

そこで話したことはなにか。まさに,どこでも起きている問題だった。

地方の小都市で何かやろうとした時に起きるのが「足を引っ張られる」という現象。そして、彼女が強調したのは大人がとにかく勉強しない。新しいことへの拒否反応があることであった。

そこで申し上げたのは、それはどこでも同じで、都会にいる社会人でも全く同じだということ。だからといって諦めるのか、諦めないのか、周りを巻き込むためにどうするのかを考えて実行することが難しいですねという話。目的を大上段に構えて偉そうに語っても人は付いてこない。ではどうするのか…。

加えて,都市の生活に彩りがないことが最近の悩みだという話をした。ただ仕事をするために住んでいるわけで,そこに住む必然性はそれ以上でもそれ以下でもない。確かにそこに行けば「何かある」し,多くの人と触れ合うことで機会も生まれることに違いないが,果たしてそれが豊かさを表すのかと言われれば何とも言えない。若いうちはなにかあることが大切なのかもしれないが,結果目に見えない大切なことを見落としている可能性がある。

そのときにいかにして目に見えるようにするのか。心を動かすようにストーリーを作るのか。成功しているパターンを抽出し,今ある資源を有効活用して勝ち筋を作ることが地域おこしに欠けている視点ではないかという話もさせてもらった。

これだけの自然があり,食が豊かな街に暮らした経験がない私からすれば,地方都市は魅力的でしかない。研究に区切りがつけられるのだとすれば,真剣に地方への移住,転職を考えてみたいと思うほどだ。実際にはそうならない(子どもが小さく,それなりの稼ぎが必要)ことはわかっているのだけれども,それでも地方都市で豊かな生活をしたいという気持ちが年々強くなっている。

志布志を訪問
今回の旅でどうしてもやりたかったことがあと1つだけあった。

志布志市志布志町志布志にある志布志市役所志布志支所

この看板の撮影だけのために南へ20分車を走らせた。その後,都城へ北上し,宮崎道→九州道で帰宅。福岡の自宅に着いたのは0時過ぎだった。ぐったり。

帰宅してからの読書:『都市と地方をかきまぜる』

一夜明けて今日は自宅で静養日。学生は今日から講義ということで,体力的にも疲れているにも関わらず,気持ちの切り替えが大変だっただろう。私は講義がなく,自宅で読書をしていた。

今日読んだのは,高橋博之『都市と地方をかきまぜる』光文社新書だった。著者は私と同じ1974年生まれだが,東日本大震災直後に行われた岩手県知事選に出馬するにも落選。それまでの県議も辞したので起業したという経歴を持っている。「食べる通信」という地方の生産者と都市の消費者をつなぐメディアやサービスを行っている企業を創業したのだ。現在はすでに経営から手を引いているそうだが,その経験談を学んだ。

そこに書かれている基本的なコンセプトは,私も多少なりとも関わらせてもらっているビジネスと同じに感じた。いかにして地方と都市を結ぶか。そのときに人を引き寄せる観光地としてだけでなく,食は重要なツールになる。食は人の生活と切っても切れない。

そもそもこの本を読もうと思ったのは,まさに昨日の串間での経験だった。宮崎県と言えば,宮崎牛やマンゴーに代表される食の宝庫であり,都農町のようにふるさと納税の世界では著名な町もある。それに比して串間はちょっと弱い印象を受けた。そんな話もさせてもらった。

今回の訪問で実際できるかどうかはわからないが,もしかしたら自分が何かできるかもしれないという可能性を感じた。まずは今の職業,立場でできることからスタートということになるが,年に何度でも訪ねてみたい場所になった。

最後に

今回の合宿の冒頭,なぜ合宿地を日南にしたのか。その意味を伝えたのだが、きっと誰も何も理解せずに(理由はあったにせよ)早々に福岡に戻ったのは残念としか言いようがない。ただ酒を飲み,高校生と交流するためにここに来たのではない。

20年後に来るであろう未来は彼らに見えたのであろうか?

結局,あるものしか見ていないのだ。いや,自分たちが足を運ぶ場所への事前インプットもろくにせず,ただ来て,見て,なにか学んだ気になって帰ってるだけなのだ。社会課題を解決するプロジェクトでも,創業体験プログラムでも,女子商マルシェでもまいど見る景色である。もう慣れた。

が,本当の豊かさってなんなのだろうか。生活水準が上がり,ある程度豊かになった今,何に価値を見出したら良いのだろうか。

今回の日南,串間の訪問を通じて私に与えたインパクトはとても大きなものであったように感じる。それが具体的にどんな形で現れるかはわからないけれども,確実に言えることは,都市にある生活の豊かさ=ある豊かさと地方にある生活の豊かさ=ない豊かさと捉えがちだけれども,実はその逆もあるということ。それを交換しながら生きていくことができるのではないかということ。

今やどこでもインターネットにつながり,PCかスマホがあれば仕事ができてしまうのだから。今回の連続出張でもそうであったように。

「ある豊かさ」と「ない豊かさ」を享受するために,住む場所を移しつつ生きていくということを真剣に考えなければならないのかもしれない。

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