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情報デザインの考え方を管理会計システム利用の説明理論として適用するための覚書(1)

2年前に西南学院大学で開催された日本簿記学会において,「中小製造業に見る管理適合的な記録とは −『管理中心主義』からの検討−」と題した報告をした。これを論文にして投稿し,約1年がかりの査読を経てようやく校正まで来た。

論文の要旨としては,簿記という計算機構によって作られた情報は組織内部あるいは利害関係者とのコミュニケーションに用いられるものであるが,そもそも情報作成に至るプロセスでどのような媒体を用いるのか,どのような情報(貨幣的あるいは非貨幣的)を用いるのか,いかに体系立てたものにするのか=システムをデザインするという発想が必要だろうというもの。

その際,渡辺保史(2001)『情報デザイン入門』の下記の一節を取り上げた。

インタラクティブな情報メディアのデザインを行う場合には,自分がつくる対象だけではなく,それを使うユーザーの「使う」という経験まで含めた「かたち」を頭に描いておくことが欠かせないことになる(p.52)。

以前から,Management Control System(以下,MCS)をはじめ,あらゆることに「デザイン」が重要だということは考えてきたし,これから書物を書くとするのであれば,この厄介な「デザイン」というキーワードを使って理論的枠組みを作っていきたいと考えてきた。しかし,厄介であるがゆえにまとまらない。もう何年も立ち止まっているのだが,そろそろまとめなければならない。すべてを包摂して「デザイン」で片付ける前に,まずは企業実務における簿記システムのデザインを対象に論考にしておこうというのが今回論文を執筆した1つの理由だ。

なお、このテキストの主たる言明以下でまとめておく。

『⽬に⾒えるもの』ではなく『⽬に⾒えないもの』を⾒えるようにする情報デザインの必要性が次第に浮上してくる(p.27)
『価値』は⽬に⾒えないものの 1 つだ。経済活動の活発化は,異なるモノの間の違いを⽬に⾒えるようにし,それを共通の尺度によって交換できるようにするシステムの発展であり,紛れもなくそこでは貨幣のような体系化されたメディアシステムの中に情報デザインされるようになったと⾔えるだろう(p.27)
私たちの社会では当たり前に浸透している情報の編集・蓄積・交換のための基
本的な⼿段がいくつも⽣み出された。そこには,情報をある秩序だった体系や構
造の中で表現し,それによって他者へ何らかの意味を伝え,⽬的を達成するとい
う情報デザインのエッセンスが存在していたのであり,(中略)情報デザインは,その時代時代のテクノロジーと経済という 2 つのファクターに⼤きな影響を受けながら発展するのである(p.28)

こうした議論を踏まえた上で、情報デザインとコミュニティとのかかわりについて 2 つの問題設定があることを示している。

① デザインの担い⼿→主体の問題
 HCD からユーザー巻き込み型デザイン
② コミュニティそのものをデザインしていく
 ⼈々のリアルな経験の領域であるコミュニティを基盤とした多様な関係性をどのようにデザインするか?

これを私の研究関心に引き寄せるとすれば、①はMCS/管理会計システムをデザインし、かつ利用者である(中小企業の)経営者が組織成員の活動をどのように管理していくのか、その設計思想の話であり、②は経営状況あるいは組織成員の活動の過程あるいは成果を測定する(管理)会計システムやMCSを用いて、経営者と組織成員がいかなるコミュニケーションを図る場を構築するかという議論になるのだろうと考えている。まだ雑駁としている。

岩田(1955)「二つの簿記学」が示唆すること

もう1つ引用した重要な論文が,岩田 巌(1955)「二つの簿記学:決算中心の簿記と会計管理のための簿記」『産業経理』第15巻第6号,8-14頁であった。岩田先生が亡くなった後に発表された論考をまとめたものであるが,決算中心の簿記=財務会計のための簿記会計管理のための簿記=管理会計のための簿記が1つの簿記というシステムに併存していることを指摘し,簿記研究が財務会計中心に展開されすぎていることへの疑念を提示したものである。

周知の通り,簿記は企業活動を仕訳あるいは補助簿に取引ごとに記帳し,それを体系的にまとめる元帳,試算表,精算表を作成して,最終的に会計期間における企業活動の成果を取りまとめて表示する貸借対照表と損益計算書を作成するものである。

財務会計を主とすれば「元帳は決算のもつとも基礎となるものでありまして,元帳で総合的に書かれたものは結局,決算のときの直接の材料になるわけであります。元帳を中心とする帳簿組織というものは決算中心の帳簿組織と考えていいのではないか」(岩田1955,10)ということになる。

しかし,管理会計的には簿記を「毎日々々の日常的な管理の機能を果すためにやつておる」(岩田1955,11)のだとした上で,「管理のために必要なのは補助簿です。明細なことを書いた補助簿です。これが管理のための帳簿である。だから,管理の見地からいうと,主要簿と補助簿は逆の関係になる」(岩田1955,12)と述べ,補助簿が「毎日々々の日常的な管理の機能」(岩田1955,11)を果たすのだとしている。

となれば,ここで検討するべきは簿記が経営管理のためにどのように用いられているのか=目的適合的にどう用いられるのか、企業はどのような帳簿組織を具備しているのか、そこで「帳簿」と呼んでいるものは簿記を構成するものなのかという、どうしようもなく基礎的なことを問わねばならないのかもしれないということで,この論文を執筆した次第である。

つまり、MCSの構築の前に管理会計システムとは何かを問い、管理会計システムの前に簿記システムとは何かを問う。それを規範的ではなく、企業経営の実践から検討してみようということ。うまく行ったかわからないし、簿記研究者からすればそんなことを問うてどうするんやということになるかもしれない。

デザイン概念をMCSの説明に活用する前段として①

今回はこれの続編をある学会で報告したい=簿記システムを「デザイン」という枠組みで捉えるとしたらどのようにまとめられるのかという自分の研究メモを晒してみることにしたい。

H.サイモン(訳書:1999)『システムの科学』
社会科学,システムのデザインと言えば,サイモンは外せない。

人為的につくられたものを「人工物(artifact)」とする。あるはたらきが実装される人工物の内部を「内部環境」とし,人工物が置かれる場を「外部環境」とする。そして,それら内部と外部,二つの環境が接する面を「インターフェース」と定義づけた。サイモンは,デザインとは内外二つの環境の適合を求めて両者のインターフェースをかたちづくることであるとし,「現在の状態をより好ましいものに変えるべく行為の道筋を考案するものは,誰でもデザインの活動をしている」(訳書p.133)と述べている。

須永剛司(2019)『デザインの知恵』

デザインは決して「つくり手」の活動のなかにのみあるのではない。それらを「使う人」の活動のなかにもデザインはある。ものやことをどのように理解し,いかに使うかということを,使い手もまたデザインしていると考えたい。使い手は生活や仕事において,道具利用の専門家なのである。使い手の活動に触れ,未知の使用を見いだすことが,つくり手としてのデザイナーの専門的な能力だと言ってもいい。(p.15)
情報デザインとは,さまざまなメッセージに「わかる」かたちを与える学際的な営みである。(中略)その中心的問題は,それらメッセージの基本的な特性である「動的(dynamic)」で「双方向的(interactive)」なふるまいに,「見える(visible)」そして「操作できる(operable)」かたちを与えることである。しかしこれは,情報デザイン第一世代の定義であったと言えるだろう。

ネットワークの時代になると,情報デザインの課題は,「コンピュータを介在させた人と人の対話と協働,さらにはそれらの場をかたちづくること」へと広がった。そこに登場したのが,人びとの「共有(commons)」と「共同・応答(correspondence)」とは何かという新たな問いである。情報デザイン第二世代の定義は,デザインする専門家をも含んだ「参加(participation)」,そして「自立(autonomy)」のかたちを創成する営みとなるのかもしれない。(p.34-35)
経験をデザインするためにデザイナーには情報を利⽤する⼈びとの活動とそこ
での経験を把握することが求められる。(中略)情報デザインにとっても,客観的な情報と主観的な情報をむすびあわせる視点と技術が不可⽋となる(p.47)

本書の中では「デザイン」の対象がモノ→情報→コミュニティと拡張しているという指摘が行われている。その部分は下記の通り。

今世紀に入ると,情報技術の進展が社会におけるコミュニケーションのあり方を変え,そのことが情報デザインの新たな領域と可能性を広げていった。人びとと対話し共創するためのデザインや,社会の活動と直接むすびつくためのデザイン,社会的な価値を求め,より多くの人びとの要望を受け止めて,道具やサービスをつくり出すためのデザインなどである。
それらの新たなデザインには,情報の流れを創出し,人びとの意思を反映させる仕組みや,人びとに利用され,拡散されるための仕組み,社会に活かされる成果につながるまでの仕組みが包含されている。(p.185)

簿記や会計という計算機構が組織活動をどう記述するか,貨幣的情報だけでなく,非貨幣的情報=物量情報や貨幣や物量で数量的に把握できない情報までもが経営管理には用いられているわけで,私の研究対象である中小企業,特に中小製造業が企業規模の拡大(従業員数や階層の増大)に伴って,システムで管理する対象を拡張する=組織拡大に応じてシステムをデザインすることをこうした枠組みを使って説明できないかなと考えている。

後段の情報デザインの世代ごとによる対象の拡張という話は,帳簿組織や計算機構を中心的に問う簿記システムのデザインから,企業・組織の管理会計システム/MCSのデザイン,さらには産業クラスターを対象としたメゾ管理会計システムへと対象を拡張するにあたり,どうそのシステムをデザインするかという話に適応できるのではないかと勝手に妄想している。

情報デザインの課題とは,人間と言葉の道具の間,あるいは言葉の場所を介した人間と人間,人間と言葉の道具の間に,言語的なインタラクションをもたらし,そこに重なり合う対話と協調を展開できるようにすることだ。そのためには,そこに起きたインタラクションの結果のみならず,そのプロセスにもかたちを与え,重なり合いが生成する過程を視覚化することが重要になる。そして,言葉の道具と言葉の場所にそのようなかたちが付与されるとき,それらは,利活用する人びとの間に行動の共感的領域をかたちづくる,社会づくりの道具になる。(p.53-54)

ここに出てきた「言葉の場所」「言葉の道具」という表現は筆者独自の言い回しである。「言葉の道具」とは,「私たちの考えることや表現することを支えるソフトウェア・アプリケーションとして,絵を描く,文章を書く,計算をするなどのはたらきを,言葉の場所に実現する」(p.40-41)と説明されている。また,「言葉の場所」とは,「言葉を使って「知ること」と「行なうこと」が可能な「空間」,つまり,情報空間としての「言葉の場所」である」(p.41)と説明されている。

また,「共感的領域」という言葉は,オートポイエーシスという概念を提示したマトゥーラに依拠しているもの。非常に気になっているのだが,まだその具体的な定義には当たりきれていないので課題。ウィノグラードの著書『コンピュータと認知を理解する』の中で引用されていたキーワードの孫引きで,原典につきあたるまで保留。

なお,この本自体は情報デザインを議論する上では欠かせない本であり,このあと気になる指摘をまとめていく予定。

ネイサン・シェドロフ「情報インタラクションデザイン」(ロバート・ヤコブソン編(訳書2004)『情報デザイン原論』第11章)
続いてシェドロフによる情報デザインに関する記述のまとめ。

データが価値を持つためには,データを意味のある,つまり価値のある「情報」の形に整理し,変形して提示しなければならない。(p.216)

彼は以下のような理解のスペクトルと呼ぶ図を提示し,理解の流れはデータから情報,知識,知恵へと進行すると述べている。

20200310理解のスペクトル

テキストの図を参考に作成。

データ:コミュニケーションを構築する原材料
情報:データ間の関係やパターン(コンテクスト)を明らかにしたものがメッセージ。考え抜かれたメッセージを形にしたものが情報。
知識:体験から得る報酬,体験を通じて得る理解。他者やシステムと相互作用せざるを得ない関係を構築し,情報のパターンと意味が同化されると知識の伝達が生じる。
知恵:漠然とした個人的理解。体験から理解されたすべてのプロセスと関係の混合物。

情報を知識に変えていくために必要な考え方が「インタラクションデザイン」と「体験の創造」である。

 デザイナーは体験を創出し,プロセスを説明し, 聴衆に知恵を見つける機会を提供することだけ。知恵は個人個人で取得しなければならない理解。(p.219)

データを情報に変える最初のステップは「整理」。ワーマンは整理の方法として5つの方法を提示。シェドロフは7つ。①アルファベット(日本語なら50音順),②場所,③時間,④連続体,⑤数,⑥カテゴリー,⑦思いつき。
※ 簿記の勘定科目はカテゴリーかな。
→ シェドロフによれば,カテゴリーでの分類は「非常に一般的で,信頼できる整理の方法」(p.221)と述べている。

ほとんどの情報は,実際にはいろいろな整理の仕方が多重に重なり合っている。(p.223)
可能ならば,利用者が別の整理の仕方ができるように,あるいはいくつかの違ったまとめ方で情報を提供して人々が自分でパターンを見つけられるように,デザインすることが好ましい。(p.223)

→ 貨幣的価値で取引内容に基づいて記帳していく現代の簿記は,あくまでも企業活動に関する情報の集約・記述方法の1つに過ぎない。

効果的なコミュニケーションを行うためには,まず,創造しようとしている体験の目標は何か,どんなメッセージを伝えたいのかを,プロセスの早い段階で明確にする必要がある。(p.224)

と,重要と思われる場所をメモ。上図は一昨年8月の学会報告のときには使用していたが,論文では使用することをためらった。

今日はここまで

と,今日はここまでとしておくが,どんどん泥沼にはまりそう。大丈夫かしら。

ちなみに,学会報告ではまだ十分に言い切れていないのに,下記のようなことを言っている。2019年に書いた論文ではこのフレーズ(に類する表現)が多用されている。

中小製造業の実践では,会計情報を組織成員にとって理解し,利用する「かたち」にすることで経営者の意志が企業内部に貫徹されている。
→ 情報システムとしての簿記に何を具備するべきか,記録間の連携をいかに
 図るか,簿記を通じて作成される会計情報が情報利用者の利用目的に適合
 的であるようにデザインされることの必要性
を示唆。

と,会計情報の利用目的に適合的でなければならないと書いているわけだが,これを今さらドヤ顔で言うのはいかにも間抜けだったことは今日(3/10)にふと検索して見つけた論文を読んだら明らかだった。もう1968年に言われていたことだ。そんなこんなで,今日はその論文を中心に読んでいて,これまた頭が爆発しそうになる。

昔の会計学者はこんなことを議論していたのか。自分が何周も周回遅れであることを思い知らされる。一方でこうやって古典的な議論に回帰することで新しい発見があるから楽しいのも事実である。

最近のインタビュー調査では,経営者がどのようなタイミングで,何を見て今のMCS/管理会計システムを構築しようと思ったのかを中心的に聞いているし,自らの利用目的に適合的にデザインしていることが少しずつ証拠として積み重ねられている(ように感じている)。

もう少し勉強を重ねて,一歩ずつ歩んで,自分自身の研究成果を示せれば本望かもしれない。明日はこの続きの作業を続けます。

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