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事実と情報の切り分けの難しさ:2019年度ゼミ春合宿1日目(福岡→台北)

FacebookやTwitterでは既報の通り、2/25-28にかけて春のゼミ合宿として台湾へ行ってきた。

合宿のメインは台南にある中信金融管理学院(CTBCビジネススクール)における交流であり、その前後に台北を滞在して観光を行うことにした。私はこれに加えて28日の朝に移動して釜山で行われる研究会と来年度の「社会課題を解決するプロジェクト」を釜山郊外の金海(キメ)市にある仁済大学校と共同で実施するための打ち合わせを入れていた。

しかし、折からのコロナウィルス(COVID-19)の影響から、合宿自体開催することが危ぶまれた。2月中旬からも日本国内で罹患者が出始め、出張やイベントの自粛が叫ばれるようになってきた。実際、卒業旅行として実施する予定だったが、4年生の大半はキャンセル。今回のツアーの中心になる2-3年生も不安に思っただろう。

この点、受け入れをお願いしていたCTBCビジネススクール側も同様で、同時期に訪問予定だった日本の他大学はキャンセルを早々に決め、我々もどうするかを決めて欲しいと依頼があった。

すでにこの時、CTBCビジネススクールは新学期の開講時期を遅らせることを決めており、行っても台湾側の学生がいないことは決まっていた。だから行く意味はなかったのかもしれない。しかし、台湾へ行くことそのものには全く問題はない。なぜなら国も文科省も大学も台湾への渡航を制限していなかった。台湾政府が日本人渡航者の受け入れ不可となれば即刻中止することにできるが、この時点ではそうではなかった。

そうしたタイミングで2/21に台湾でのプレゼン練習のためゼミ補講を決めていたので、ここで学生の意思を確認することにした。

実はこの時点で匿名の問い合わせ電話があった。ある学科のゼミ生が台湾に行くことが不安だと。お前はどう考えているのかと。名前を聞いたら怒鳴られもした。が、中止にする理由はないことを説明した。なぜか納得されたのだが、いったいあれは何だったのだろうか。

事実は何か:事実と情報を切り分けるワーク再び

迎えた2/21。この日は原則マスクを着用、教室入室前にはアルコール消毒、教室の窓を開けて換気をし、30名近い学生と見学に来られてた某社経営者とゼミOGが同席してくださった。

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ゼミ補講の様子

当初はプレゼン練習だけの予定であったが、上記のような背景もあり、昨年を代表したビジネス書『FACTFULNESS』を引き合いに出して、「事実」と「情報」の切り分けをするミーティングを行うことにした。

それまでにゼミのFacebookグループでさまざまな情報をシェアしていたが、学生が見ていたとは(申し訳ないが)とても思えない。例えば,こういう情報だ。

そこで,どのコンテンツに事実が掲載されており、どのコンテンツが解釈が含まれた情報なのか、その上で日本と台湾はそれぞれどのような状況なのかを説明できるようにすることを狙いとしたワークだ。

同様のワークは2018年度の基礎ゼミでも行っていた。

このワークは私の感覚では残念ながら不発で、(どんなに甘く見積もったとしても)学生の検索する力が弱いということが明らかになっただけだった。一次情報にたどり着く力が弱い。普段からいかに加工された二次情報、三次情報に意識が向かっているのかを思い知らされた。

これが1年間プロジェクトをやってきた成果なのかと。

この点はすでにわかっていたことで、この1年間かけても,いやこれまでずっとクリアできなかった点である。すなわち,以下の点が厳しいと感じた。

・アンケートやインタビューで得た事実を報告するのではなく、自分たちにとって都合良く解釈する傾向があること。
・事実が何かを説明できないこと。
・事実をもとにしてピボットすべきなのに、既存のアイデアから離れられなくなること。
・視野が狭く、類似のビジネスアイデアとの比較、自らのプロジェクトの長所短所を説明できないこと。

プロジェクトを行っている理由の1つは自らの手足で稼いだ一次情報と既存の知識を掛け合わせて新しい価値を創造することにあるが、それ以前の課題としてその前提となる虚心坦懐にモノゴトを見つめること、そのための初期動作を行うこと=公開されている情報を集約することが難しいということがわかった。

今さらなのだが、やはり単にプロジェクトをしているだけではいけない。改めて自分の力量不足を突きつけられた。

これがこのゼミ補講での最大の収穫だった。

プレゼンの課題も…

後半の2時間は7つのプレゼンを行った。

学生が英文を書くことが難しいことを把握していたので、「正確な日本語を書くこと」、「それをGoogle翻訳にかけること」、「文法的におかしい英語を直す」という手順を示した。しかし、プレゼンテーションや彼らが話す英語がよく分からない。簡単な単語を使っているのだけれども、さっぱりわからない。

その原因はそもそもの日本語の不正確さだ。

「正確な=主述をわかるように」と指示しても、彼らは日常的にそのことを意識して作文をしない。ましてや日本語では主語がなくてもコンテクストで話が通じてしまうから、おかしなことになる。例えば、「生徒」が主語なのに、もとの日本語文に主語がないから「I」が出てきてしまうとか。

それ以前に指示していたことが修正できていない。プレゼンテーション資料も自分自身が話したいことの羅列で,人に何を伝えたいのか,わかったことは何かが示されていない。何度もプレゼンしているにも関わらず,それに気づかない。動画をシェアしていても,きっと見ていないのであろう。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。

ま,自分もそういうところがあるからと受け入れざるを得ない。

少なくともプレゼンは,台湾に行ってその前日まで修正しようと腹を括った。彼らの頑張りに期待することにした。

いよいよ出発、そして台北に到着

最終的に2/25からのゼミ合宿(兼卒業旅行)には21名の学生が参加することになった。これまでのゼミ合宿は「現地集合現地解散」で行ってきたが、今回は2-3年生のほぼ全員が同じ飛行機に搭乗。2時間半で台北に到着した。

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桃園空港に着いたらスクリーンは真っ赤=欠航だらけ

しかし、到着するとそれを知らせる電光掲示板は真っ赤に染められていた。

周知の通り、それまで新型コロナウィルスの罹患者が少なかった韓国において、急激にその数が上昇し始めたのがこの頃(2/25)だった。台湾から韓国への出国はすぐに制限され、それに伴いフライトもキャンセル。28日に釜山へ行く予定だった私のフライトもキャンセルになった。もう釜山に飛ぶことができない。28日のプレゼンを終えたら、福岡へ戻ることを選択した。

となれば、あとは学生同様に台湾を楽しむしかない。この調整のため、本務校と諸々打ち合わせをして1日目が終わった。

それでも合間に台湾市内を観光することにした。新婚旅行で食べた排骨麺、豆花を食し、松山文創園区、台北101を回り、夕食は今回のツアーについて来てくれた(卒業旅行を兼ねた)4年生とともに北京ダックを食し、士林夜市でマッサージと西へ北へと移動。うむ。やっぱ遊んでる。

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新婚旅行で食べた排骨麺をふたたび

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東京でも食べられる豆花だけど、これはこれでうまい。

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台北101。下から見上げるととても高い。

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日本人は別フロアだったけど、北京ダックはうまかった。

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やっと受けたマッサージ。499台湾ドルで50分。
頭や肩もお願いした。気持ちよかった。

士林夜市ではバッタリ2年生女子と3年生男子と遭遇。国内では感じられない習慣の違いなどに戸惑いながらも、それぞれが台湾を楽しんでいた模様。

民間レベルの徹底した予防

さて、気になる台湾の状況。空港での検疫だけでなく,市内に入ってから店舗やホテルのチェックイン時における検温や消毒が徹底していた。

①機内で問診票に記入。内容は14日以内に咳や発熱などの症状、中国・香港・マカオへの渡航歴がないかを問われる。
②降機後、2度の問診票チェック。1度目は記入漏れがないか、2度目は検疫官によるチェック。
③到着スポット、ルート、レストランのフロアは完全に日本人は隔離。それとなく。
④日本人だからと差別は感じない。まあまあ日本人観光客はいた。

ちなみに私は少しミスしたために検疫に長い時間を取られた。まず、PMや花粉症の影響でアレルギーが出ているので咳が出ていることを申告、次に「中国・香港・マカオに行ったことがあるか」と書いてあったので「行った」と記入。これが誤りのもと。14日以内なのに「行ったことがある」だけ読んで記入した私のミス。消したのに。特に後段は検疫官が(ねずみ取りに捕まった時のあの感じ)で問い詰めて来たので説明するのに時間を要した。実際寝不足、疲れもあったためか、検温で37.2℃。もしかしたら学生を放ったらかして、隔離されてしまったかもしれない…。

街中に入っても、一定のレベルのレストランやホテルに入店時には必ず検温とアルコール消毒が行われていた。自動でアルコールが噴霧される機械を置いているところもあれば、レジ担当者がスプレーをかけるなど(屋台のようなお店ではこうした対策はなし)、いつも以上に徹底している感じ。検温についてはおでこにセンサーを向けるタイプの体温計が一般的で、日本のような脇に挟むようなものはないz中には耳で検温するものがあったが、その場合は毎回アルコール消毒。

日本人だから特別にというわけではなく、台湾人だろうが、誰だろうがちゃんと検温と消毒をする。これで身の安全が担保される気分になるので、煩わしさよりも安心感で食事できた。

大臣のレベルを憂う前に:教育を通してできることを改めて確認する

台湾のIT大臣の優秀さと比して日本の大臣はという記事が多くシェアされている。

確かに優秀だと思う。しかし,日本の大臣を貶めるために台湾の若い大臣を持ち上げている感があって気持ち悪い。台湾のニュースを眺めている限りにおいて彼女が称賛されているという感じは受けなかった。むしろ、ますます状況が悪化する日本や韓国、イタリアについての報道がほとんどだ。

コロナウイルスが広まって,日本ではこれだけ大騒ぎしているにも関わらず,しっかり予防策を行っている店舗がどれだけあるのだろうか。本当にみんなコロナウイルスが怖いのだろうか。情報がない,わからないからといって思考停止になっているだけではないか。ああでもないこうでもないと騒ぐ割にはこうしたことについては無頓着なのかな。

その点,今日のあさいちの報道は好感を持つことができた。民放のような批判もなく、淡々と専門家が視聴者の疑問に答えるというスタンス。

パニック起こす前に事実と情報を切り分ける、自分で情報を取るというクセが付いていればもう少し違うのだろうけれども…。これを高等教育機関で1から教えるのはしんどい。でも,大学で学んだことが社会に出て最も意味を持つのはこうした思考を持つことだ。何が事実で,何が情報で,現実がどのように構成されているのかを見聞きしたものだけで判断しないという批判的思考だ。

くれぐれも学生がダメだと言いたいのではなく、こうなってしまっている状況に対して自らがどう対処するのが良いかを考える私自身の思考訓練として。

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