子供は欲しかったか?

子供は欲しかったのか?については実に複雑な気持ちであったと思う。この文章を子供が読む時、多少なりともがっかりするかもしれないけれど、でもおそらく女児として生まれいでる我が子に、同じ女として人生のどこかでいつか通りうるこの疑問を、当の親がどのように消化していったのか書き残したいのである。

旦那のことは世界で最も尊敬しているし、恥ずかしげもなく愛していると思う。そんな旦那との大人2人の豊かな暮らしはとても素晴らしいもので、好きなものを食べ、気ままに行動し、エンタメについて意見を交わし合う日々はとても愛おしい。それに年に3回ほど海外に行って新しい食べ物を見つけたり、日本とは違う気候を楽しんだり、ファッションに影響を受けたりするのはとても素敵な生き方だと思っている。しかしこれらの生活様式は子供ができては到底続けていくのは難しいだろう。

一方でなんとなく子供が欲しい気持ちも湧いてきていたのも事実だ。そう思い始めたのは28歳の頃、生物学的観点で、母親としてのピークが過ぎ去ろうとしている自覚はあった。このままなんとなく何の議論や行動なく家族計画をスルーしても良いものなのだろうか。そんな疑問がふと湧いてきたのだ。年の差婚の年上の旦那がきっと自分より先にこの世からいなくなった時、それはとても悲しい世界になるだろうという妄想。尊敬する旦那の遺伝子が誰かに引き継がれることはそれもまた尊いであろうという妄想。そういったことがなんとなく重い腰を上げさせようとしていたのだ。

さらにもう1人の当事者である旦那はどうかというと、正直今の暮らしをとても楽しんでくれており、新しい変化をすぐに望んでいるようではなさそうだった。どちらでも良い、というスタンスではあったが、心底子供を望んでいたかというとそうではないであろう。

結局どのように向き合うことにしたかというと、当面避妊はしないし、その後中絶を考えない、また逆に不妊治療はしない、という合意の上普段と変わらない暮らしを楽しむこととしたのだ。できたらできたで、できないならできないでいいか、というやんわりした気持ちをを地でいくことにしたのだ。え、それって優柔不断じゃないか、と自分でもそう思うが、現実問題として、確率分布の真ん中のカップルの話で言うと、計らずに子供ができるなんてことはおそらく稀で、たまたまにたまたまが重なってやっと子供を授かれるのだ。故に、それに神経を使うことなく、神任せとしても良いではないか、と言う態度は自分の気持ちとぴったりあっていると思った。

結果、そんな暮らしが1年ほど続いたある日、ついに我が腹に新しい命が誕生していることが判明した。それがわかった時は、ただただ緊張して、緊張したまま旦那に報告し、そして旦那もまたとても緊張していたと記憶している。ある日突然に、子供のいる暮らしに舵が切られたことを告げられたのだからね。

じんわりと自分たちよおめでとう、と素直に思えたのは病院に2-3回通った頃だったかと思う。それまで不勉強であったが、その後の調べで妊娠の過程でも命を続けていくことは容易でないことを知ったこと。またエコーに写っている(と解説された)小さな粒がだんだんと生き物様になり、ドラえもん様になる姿を見たこと。などにより、これを育てていくのだ、と言う気持ちが芽生えてきたのだと思う。