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雑記(四〇)

 三浦哲郎の小説「忍ぶ川」は、「しのぶがわ」と読む。作中に登場する料亭の名前で、そこで「私」は、「志乃」という女性と出会う。そして志乃に惹かれ、料亭「忍ぶ川」に通うようになり、やがて志乃とともに深川を歩き、栃木に旅して志乃の老父の死に立ち会い、その年の大晦日には、志乃を連れて東北の故郷へ向かう。上野から、夜行列車で発つのである。

 この「忍ぶ川」は、一九六〇年下期の芥川賞を受賞し、一九七二年に映画になっている。主演は栗原小巻と加藤剛。小説は「志乃をつれて、深川へいった」という印象的な一文から始まるが、映画もそれを踏襲し、ナレーションの独白、字幕も使って、かなり忠実に小説の内容を活かしてある。

 小説では、志乃は、洲崎の遊郭のある界隈で生まれたのだという。「私」に「T字路の一方の角にあるうすよごれた一軒の娼家」を指さしてみせて、「ここなんですの、あたしが生まれたのは」と言い、また「忘れないように、たんとごらんになって」とも言う。手元の『忍ぶ川』(新潮文庫)から引く。

「志乃の傘の上に、雨だれのような音が落ちて、はねかえった。空を仰ぐと、四囲にひしめいている家々の二階の窓には、いつのまにか、肩と胸もとをあらわにした女の顔が鈴なりにならんでいて、彼女らは一様に窓辺に干してある布団の上に頬杖をつき、はれぼったい目で、だまって私と志乃をみおろしているのであった。そうして、だれかが口のなかのガムを志乃の傘へめがけて吐き、それがうまくあたると、彼女らは鼻さきだけで、ひそひそわらいあっているのであった」。

 映画にも、同じような場面はあった。窓から女たちが二人を見下ろしていて、志乃の傘へガムを吐き出す。しかし、ガムが傘に命中すると、女たちは「鼻さきだけで、ひそひそわらいあっている」わけではなく、いっせいにやかましく春歌を歌い出す。その声に追い立てられるようにして、加藤剛と栗原小巻は、足ばやに路地を立ち去る。ここも、小説で「志乃は、目を伏せてだまってあるきだした」となっているのとは、違う印象である。映画では、娼婦たちの猥雑な印象が、それと対立する二人の純粋さを際立たせるようだ。加藤は真白なワイシャツを着ていた。

 監督の熊井啓は一九三〇年生まれ、昨年が生誕九十年で、池袋の新文芸坐では特集上映の企画が進行していたが、それが今年に延期になり、十月十二日から十九日までが「熊井啓映画祭」だった。

『忍ぶ川』の二本立ての併映は、『サンダカン八番娼館 望郷』。近代女性史の研究者と、戦前、戦中期のボルネオで売春を強制された経験を持つ老女の交流を描く。東京からやって来た栗原小巻を、年老いた田中絹代が迎えるのだが、回想のなかで田中の役を演じる高橋洋子の迫力にも圧倒された。公開は一九七四年。

『忍ぶ川』も『サンダカン八番館 望郷』も、二時間ほど、女たちの喜怒哀楽に目を奪われる。叙事的な構成でありながら、決して感情を置き去りにしない傑作だと思った。

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