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雑記(一八)

 池袋の新文芸坐で、黒沢清監督の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を観た。洞口依子の不機嫌な表情と白い肢態、伊丹十三の知的であやしげな口調と表情、白くたちこめる霧のなか銃弾を避けてさまよう学生たちの姿を、不思議な気分で楽しんだ。

 洞口の演じる秋子は、加藤賢崇の演じる吉岡という男を探して大学のサークルやゼミに顔を出すのだが、映画の中盤、その吉岡が「あおいそらに かがやくひよ」と歌う場面がある。こちらに背を向けて床に座る吉岡の、室内にふさわしくないコートと、灰色っぽい靴下が印象的だ。

 吉岡に向き合って座る、風体のよくない男がギターを弾く。この男は吉岡の歌い方が気に入らないらしく、すぐに演奏を中断して文句を言う。どんどん空気は悪くなって、二人は座ったまま足を伸ばしてお互いを蹴りあうが、しばしの沈黙ののち、男が演奏を再開し、気まずさを拭えないまま加藤が「あおいそらに」と、声だけは明るく歌い出す。やはり不思議な場面だ。

 曲は、淡谷のり子の「ルンバ・タンバ」。スクリーンを見上げながら、最近、どこかでこの曲のことを読んだような気がして、思いかえせば、丸谷才一の小説『輝く日の宮』(講談社)に出てきたのだった。映画を観るまでの二、三日、ずいぶん久しぶりに読みかえしたこの小説が、あまりに面白いので、困っていたのである。

 この『輝く日の宮』は、杉安佐子という日本文学専攻の大学教員の、友人であり恋人である男たちとの関係を描きながら、『奥の細道』や『源氏物語』の成立の謎を、安佐子の研究とともに述べてゆく。安佐子が中学生の頃に描いたという、擬古的で耽美的な調子の短編小説がそのまま「0」という標題の序章になっているが、続く「1」では、安佐子はもう「母校である女子大の専任講師」になっていて、父で歴史学者の杉玄太郎の、七十二歳の誕生日を祝うべく、阿佐ヶ谷の家を訪ねている。

 兄とその妻子も入れて、六人の祝宴が開かれる。安佐子が玄太郎に、贈り物としてCDを差し出すと、玄太郎は喜ぶ。「「ほう、淡谷のり子。有難う、有難う。何度も実演、聴いたなあ、最初は邦楽座で。『ルンバ・タンバ』がはいつてる」とつぶやいてから小声で歌ふ。「風にそよぐ 椰子の葉蔭 マラカスに合せて 歌ほよルンバ。オウ オ オ オ、オウ オ オ オ」」。

「3」の章へ進むと、この祝宴が催されたのは、一九八七年のことであったとわかる。『ドレミファ娘の血は騒ぐ』は一九八五年だから、その二年後である。丸谷がこれを発表したのは二〇〇三年だが、八十年代後半、淡谷のり子とその歌が持ったイメージがうかがえる。

 さて、この年に七十二歳になった玄太郎は、一九一五年生まれ。一九〇七年生まれの淡谷とは、同時代人と言っていい。右に引いた玄太郎の歌声に続く部分には、こうある。「節まはしはわりにしつかりしてゐる。そして安佐子は、かういふ人がかつては和泉錠の弟子だつたのだから不思議だなあ、と思ふ。楠木正成の忠節なんて話を鹿爪らしく聞いてゐたわけだ。オウ オ オ オ。孫たち二人がたどたどしくその真似をするので座が盛りあがる」。

「和泉錠」は「いづみたかね」と読む。玄太郎は「もともとは皇国史観で有名な和泉錠(たいていの人はイヅミ・ジヨウと呼ぶ)の門下であつたが、あまり激しいはうではなかつた」ともあり、特に「皇国史観で有名」とあるのを読めば、これは、和泉とは平泉澄のことらしいと見当がつく。少なくとも、丸谷はそう気づいてほしいと思っていただろう。

 平泉は一八九五年生まれ、東京帝国大学などで教鞭を執り、一時は学界のみならず政界や軍部にも大きな影響力を持ったとされる歴史学者である。「澄」は「きよし」だが「ちょう」とも読める。「ひらいずみ・ちょう」を「いずみ・じょう」にした格好だ。平泉の著作『中世に於ける社寺と社会との関係』は、小説にはそのまま、和泉の著作として登場する。淡谷のり子という名前は、その激烈な皇国史観と対照的な位置に置かれてあるのだった。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。