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雑記(二)

 昨年は三島由紀夫の自衛隊突入、割腹から五十年で、テレビも出版も盛り上がった。二・二六事件が一九三六年、三島の死が一九七〇年、昨年が二〇二〇年ということは、二・二六から三島の死までの三十四年よりも、三島の死から現在までの五十年のほうが、ずいぶん長い時間になってしまっている。驚きを禁じえない。それだけの時が経ったせいでもあろうか、昨年の三島をめぐる企画の数々に対して私は、批判的な方向からの発言が少ないのではないかという印象を持った。

 昨年十二月に舞台「ある八重子物語」を観て、京都帝国大学で女形の歴史を研究していた学生、塩田泰久の扮する役が印象的だった。女形の芸にいれこむあまり、みずから髪を結って白粉を塗って女物の着物を身につけて出かけるところなど笑わせるのだが、研究から実践へ、というその行動も興味をそそった。そして、三島の小説「女方」のことを思い出した。

 小説は、「増山は佐野川万菊の芸に傾倒している。国文科の学生が作者部屋の人になったのも、元はといえば万菊の舞台に魅せられたからである」とはじまる。その動機は、節をあらためて、さらに詳しく語られる。すなわち、「増山が作者部屋の人となったのは、歌舞伎の、わけても万菊の魅惑に依ることは勿論だが、同時に、舞台裏に通暁することなしには、この魅惑の縛しめからのがれられないと思ったためでもあった。人ぎきに舞台裏の幻滅をも知っていて、一方では、そこに身を沈めて、この身一つに本物の幻滅を味わいたいと思ったためでもあった」。

 この増山の所属する劇団で新劇の作家の新作をやることになり、その作家の提示した条件で、若い演出家の川崎が、現代語の脚本ではあるが、歌舞伎の演出をはじめて手がけることになる。それで、俳優の万菊と作者部屋の増山、演出家の川崎の、三角関係とも言うべき関係が展開してゆく。増山が万菊を恋慕し、それを見すかしたような万菊は増山を翻弄するような表情をするのだが、その万菊はひそかに川崎に思いを寄せている。川崎の演出に冷淡な俳優たちのなか、万菊はひとり、黙々と川崎の指示に従う。しかしその万菊の態度が、川崎の目には、かえって皮肉な、傲慢な態度に見えてしまう。稽古のあと、増山を酒場に誘った川崎は、言う。

「僕は稽古中に、ごてて言うことをきかなかったり、いやに威嚇的に出たり、サボタージュをしたりする役者には、あんまり腹も立たないけれど、万菊さんは一体何です。あの人が一等僕を冷笑的に見ている。腹の底から非妥協的で、僕のことを物知らずの小僧ッ子だと決めてかかっている。そりゃああの人は、何から何まで僕の言うとおりに動いてくれる。僕の言うとおりになるのはあの人一人だ。それが又、腹が立ってたまらないんだ。『そうか。お前がそうしたいんならそうしてやろう。しかし舞台には一切私は責任をもてないぞ』とあの人は無言のうちに、しょっちゅう僕に宣言しているようなもんだ。あれ以上のサボタージュは考えられんよ。僕はあの人が一等腹黒いと思うんだ」。

 それぞれが他人の気持ちをすこしずつ勘違いしたり、あるいは見すかしていたりするあたり、微妙な配合、調整は三島の腕の冴えているところだろう。一番最後、三人が揃う、楽屋口の雪の場面も美しい。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。