雑記(二三)
松本清張の「点と線」は、列車のダイヤを利用した巧妙なトリックで知られる。特に、東京駅の十三番線ホームから十五番線まで見通すことができるわずか四分間が、解決への重要な手がかりになることはよく知られている。十三番線にも十四番線にも列車が入っていない時間がきわめて短いということが、警部補・三原紀一の注意を引くのである。
ただし、この作品に描かれた事件の最大のトリックは、それではない。東京駅の十三番線から十五番線の列車が見える時間がわずか四分間であったと知っていたところで、「点と線」を読む楽しみが減じるわけではまったくない。なにしろ清張は、まだまだ序盤の東京駅の場面で、「だが、十三番線には、電車がまだはいっていなかった」と書き、「電車がまだはいっていなかった」には、傍点まで打っているのである。読者は当然、そのことに注目する。
また、それに続く部分には、こうある。「安田はホームに立って東側の隣のホームを見ていた。これは十四番線と十五番線で、遠距離列車の発着ホームだった。現に今も、十五番線には列車が待っていた。つまり、間の十三番線も十四番線も、邪魔な列車がはいっていないので、このホームから十五番線の列車が見とおせたのであった」。ここまで丁寧に状況を書かれれば、十三番線から十五番線が見えるかどうかということが、重要な意味を持つということくらい、すぐにわかってしまう。
それに、「点と線」は、たとえ最大のトリックがいかなるものか、読む前に教えられてしまったとしても、楽しんで読めるはずだ。これは、清張の推理小説の多くにあてはまることであろうが、人間関係や職業上の要請、男女の機微などが、いかに人を犯行に導き、どのような結果をもたらすかということこそが、読みどころなのである。事件のトリックは、もちろんそれとして興味を引くし、あざやかな解決に心を奪われもするが、それだけが楽しみではない。
と、言い訳をしておいてから書くが、「点と線」の殺人事件のトリックにおいて最も重要なことのひとつは、犯人の行動が、きわめてせわしないということであろう。気軽に旅行に行けないという、二〇二一年に固有の状況が、そう思わせるのかもしれない。しかし、日数に比して異常とも言える移動距離の長さ、それを可能にした体力や資金を犯人が有していたということは、やはり驚きに値する。
犯人は、午後三時に航空機で羽田を発ち、七時二十分に福岡の板付に到着。翌日の朝八時にやはり航空機で板付を発って、昼の十二時に羽田着。さらに午後一時に羽田を発ち、四時に札幌の千歳空港に到着。そこから五時四十分の札幌駅発の普通列車に乗って、六時四十四分に小樽に到着、七時五十七分に小樽発の「まりも」に乗って、八時三十四分に札幌に到着する。航空機、急行、普通列車を利用して、東京から九州、また東京、そして北海道へ、たった二日間で移動する。この、高速かつ長距離の移動が、常識を越えたものであったから、三原らによる捜査は難航するのであった。
文藝春秋から出た『松本清張全集』第一巻は、背表紙に「点と線・時間の習俗」とある。この二作の他に「影の車」も入っていて、「解説」は平野謙。一九七一年四月の同全集の第一回配本である。「点と線」の末尾には、小さな字で、「(注)本文中の列車、航空機の時間は、事件発生の昭和三十二年のダイヤによる。」と付記されている。
昭和三十二年は、一九五七年。東海道新幹線の開通は一九六四年である。だから、遠く九州の地で殺されることになった某省の課長補佐も、長い旅をしなければならなかった。この男は、午後六時半に東京を「あさかぜ」で発ち、八時に熱海、九時過ぎに静岡、十一時二十一分に名古屋、翌日の午前二時に大阪を通過して、午前十一時五十五分に博多に着いた。そして、十五時間ほどの列車の旅の末に、博多湾を望む浜辺で殺された。