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終わり良ければ総て良し その3

僕は完全な門外漢だ。

介護どころか社会福祉にも無縁な人生を送ってきた。

新聞記者時代にも、数本有料老人ホームの記事を書いたくらいで、正直言って興味も関心もなかった。

そんな僕がなぜビジネスマンとしてのほぼ半分を介護に捧げ、コンサルタントの稼ぎのほとんどを「認知症介護」に実質的に寄付することになったのか?

いろいろな事情はあるが、まずは、知らないからこそ、素直に「素晴らしい仕事」だと思ったこと。

なぜ日本人や、業界人までも「介護職」を無下し、自嘲するのか理解できなかった。
理解できない人間が教育し、指導し、働いているとしか思えなかった。

利用者であるお年寄りは悲惨だ。

なぜなら「人生のゴールはすぐそこに見えている」のだから。


大きな失敗は国にある。
これはどの国も大方がそうだが公立公営で運営してしまうこと。

競争のない社会は、サービスの質は上げない。
ただし、社会的な使命感さえ持てれば、素晴らしい「質」を発揮できる。
予算の心配がないからだ。

いちいち「赤字」の心配をせずに、しつのこうじょうにちゃれんじできる。

だから、公設公営でも、本来あるべき「模範となるべきサービス」も皆無ではなかったが、いかんせん、管理者、管理職が自治体からの出向者なので、その人物の理解力とモチベーションに左右される。

社会福祉法(元は社会福祉事業法だが)さえ理解できない上層部をたくさん見てきた。

それなのに、自治体職員と同じ俸給表に従い毎年給料は上がり、定年退職後は叙勲され高い年金を受け取る。

実に下らない、・・・と僕は思った。

いまは、公設公営は押しなべて質の低下が目立つ。


本来、範を垂れるべき、公設公営の施設などがそのような施設で、学生などの実習を請け負うのだから、業界の質は悪化する一方だった。


その上に、「バブル経済の崩壊」などによる経過悪化であふれた失業者。

厚労省は「官僚の吹き溜まり」と言われている。

キャリ官僚は優秀なものから財務省などが採用していって、余ったものが厚労省などへ配置されるというのだ。

真偽のほどは定かではないが、僕が接してきた厚労省の官僚はいい人もいたが優秀で頭が切れる人は皆無だった。
僕を論破できる人はいなかったからだ。

元々、論理的な思考力はない。

だから、「考察」できない。

今の後藤茂之大臣は東大法学部卒だが、ガリベンなだけで頭は悪い。

正に、厚労省のトップ。

前厚労省の田村さんは違ったが。


だから、失業対策が稚拙な案しか出てこなかった。
<続く>

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